2017-01-01から1年間の記事一覧

「主は嵐の中から」(2017年10月22日花小金井キリスト教会夕礼拝メッセージ)ヨブ記38:1-11

今日は台風がいよいよ接近しています。 さて、夕礼拝でヨブ記からメッセージを読み取る、4回目となります。 ある日、突然災難に巻き込まれたヨブ。神を信じ、正しく生きていた彼の人生が、急転直下、不幸のどん底へと落ちていく。わが子を失い、財産を失い、…

落ち込みと喜び

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「いつまでも主と共に」(2017年10月22日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

1テサロニケ4:13-18 今日は、空模様も、政治も、嵐の一日になりそうですけれども、外の世界がどれほど嵐でも、わたしたちは、復活の主イエスとともに、教会という舟に乗せていただいていますから、嵐で揺れることはあるけれども、大丈夫。主が共におられる…

「神の息吹をいただいて」(2017年10月15日花小金井キリスト教会夕礼拝メッセージ)

ヨブ記32章1節〜14節こんばんわ。 先週はそれぞれどんな一週間を過ごされたでしょうか。 思うようにいったこと、行かなかったこと。 思わぬ出来事があったり、何事もない日々だったという方もおられるでしょう。夕礼拝では、旧約聖書のヨブ記を5回にわたって…

今日、誰かと共に笑顔でいれたなら

妻の父は、数年前に68才で亡くなりましたが、義父はある日突然医者から余命宣告を受けたんですね。 なにも治療しなければ、3ヶ月。抗がん剤をすれば6ヶ月。そんな内容だったと思います。 わたしはそれを聞いた時、複雑な思いがしました。そもそも「余命宣告…

「根気よく祈る」(2017年10月15日主日礼拝メッセージ)

エフェソの信徒への手紙6章10節から20節 先週から、急に寒くなりました。体調を崩されて、今日、この場に来られない方もおられるでしょう。週の初めの、この約1時間。この場所に体を運んで、同じ空気を感じつつ、共に天を見上げられることは、当たり前ではな…

「自分になるために」

「神は、わたしが思い描く「理想のわたし」を愛してくださるのではなく、自分が今の自分であることをゆるしてくださり、そのままのわたしを愛してくださるのです」ジャン・バニエ・今、「そのままのわたし」が愛されている安心感がありますか?・人と比べては「そ…

「購う方は生きておられる」(2017年10月8日 花小金井キリスト教会夕礼拝メッセージ)

ヨブ19:1ー25 今は、インターネットのおかげで、だれでもすぐにに地球上のあらゆるニュースに触れることができるわけですけれども、メディアは、興味をもって見てもらわなければ、経営がなりたちませんから、どうしても、ネガティブなニュースばかりを取り上…

「今も生きて働く神の言葉」(2017年10月8日花小金井キリスト教会 週報巻頭言)

今日の礼拝では、ウィクリフ聖書翻訳協会の松丸嘉也総主事にメッセージを取り次いでいただきます。この働きの困難さの一端を、パプアニューギニアのフォロパに入った宣教師の本の一部からご紹介しましょう。 「早くも行き詰まったハペレとリサと私は、仕事に…

「それが罠となった」(2017年9月24日 花小金井キリスト教会 夕礼拝メッセージ)

士師記8章22節〜35節夕礼拝で、ギデオンのお話の3回目となります。 前回までのお話を簡単に振り返りましょう。 イスラエルの民が、まだ国家を形成する前。12の部族の緩やかな連合体のころのイスラエル。 ミティアン人に支配されていたイスラエルの民を救うリ…

「御心がなりますように」(2017年9月24日 花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

マルコ14章32節〜42節 去年の12月のクリスマス礼拝で、バプテスマを受けたIさんが、練習を重ねて重ねて、今日、はじめてオルガンの、奏楽の奉仕を、神様に捧げてくれています。嬉しいことですね。教会全体の喜びです。 よく、なんで、目に見えない神様なんて…

「既に得られたと信じる祈り」(2017年9月17日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

マルコ11:20-25 大きな台風が近づいていますけれども、今日もこうして、この場に体を運ぶことがゆるされて、なにかと、心騒ぐ出来事の多い日々を生かされていますけれども、しばし心を静めて、共に心をあげて、主に祈ることができる幸いを、心から感謝して…

「祈りによらなければ」(2017年9月10日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

マルコ9章14節〜29節 先週の礼拝のなかで、わたしたちの教会から福岡の西南神学部に送り出した、Tさんが、結婚の決断をしたんですよと、ご報告いたしました。先週おられなかった方もいらっしゃるかもしれませんので、一応、今日もお伝えしておきますね。「あ…

「御心を求めて祈る」(花小金井キリスト教会2017年9月3日主日礼拝メッセージ)

マルコ1:35-39 先週は、一週間のお休みを頂きました。 母が佐渡島にいるものですから、新潟から佐渡に渡り、そしてまた新潟に戻って、そのまま日本海沿いを3時間ほど北上して、「酒田」の町に入り、わたしたち家族は、9年近くその町で開拓伝道をしていました…

「決断と祈り」(9月3日花小金井キリスト教会週報巻頭言)

9月の主日礼拝ではマルコ福音書から「祈り」について、み言葉に聞いていきます。 福音書には、主イエスが重大な決断をなさる前に祈る姿がいくつか記されています。 たとえば「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカ6章12…

いつまでも残るもの

先週21日(月)〜27日(日)まで夏期休暇をいただいたので、母のいる佐渡島を皮切りに、新潟、酒田、山形、蔵王を巡ってきました。 時折、大雨警報が発令されるような天候でしたが、それぞれの地で、人との交流を楽しんで帰ってきました。 酒田は、わたしの3…

「もう呪わない」(2017年8月13日 花小金井キリスト教会夕礼拝メッセージ)創世記8:1-22

先週に引き続き、ノアの箱船の物語を読んでいます。 先週は、6章を読みました。ノアの時代に、人間の悪が地に満ちて、「常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になった神さまが、人間を造ったことを後悔して、心を痛められ、ノアの家族と、あらゆ…

「キリストの平和」(2017年8月13日 花小金井キリスト教会 平和主日礼拝)

マタイによる福音書5章43節〜48節 敗戦から72年目の8月がやってきました。 「敵」を殺す。「人」を殺すことが、正しいこととされ、称賛される戦争という狂気を、わたしたちは二度と繰り返したくない。 この願いをもって、毎年8月の第二主日を、「平和主日礼…

「共感と平和」(2017年8月13日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

敗戦から72年経ちました。深い悲しみの歴史を風化させず覚え続けていく。それは同じ悲しみを繰り返さないために必要な営みです。今日、わたしたちはこの地の「平和」を願い、平和主日礼拝を捧げます。 人間には、他者の苦しみを自分のことのように「共感」す…

身近な世界平和

教会に虹

大義名分

戦争は政治、経済、宗教等様々な要因によって引き起こされるものだけれど、どのような戦争も、始めるためには「大義名分」が必要でしょう。命をかけるだけの「大義名分」がなければ、士気も上がらないわけだから。その「大義名分」は、「悪いもの」であって…

「沈黙して神に向かう」(2017年8月6日 花小金井キリスト教会 主日礼拝メッセージ)

詩編62編 先週、私と小学生の息子とで、長野県の「聖山」という標高1000メートルの高原の施設で開催された、小学生のキャンプに行ってきました。3泊4日の長いキャンプだったのですけれども、そのキャンプの名前はなんと、「ぶっとびキャンプ」というのです。…

過去の縛り、への気づき

わたしたちの多くが、過去の辛い経験をした時の感情という、誤った情報に基づいて将来の選択をしています。何が起こりうるかではなく、すでに起こったことによって将来の成長と選択と目標を制限しています。(ルータイス)

世界は自分から

「よりよい世界をつくりなさい」と神はおっしゃられた。私はこう答えた。 「どのようにですか? この世界はかくも広大で、 複雑きわまりない場所となりました。 私はちっぽけで役に立たない人間です。 わたしなどに出来ることはなにもありません」しかし、全…

ぶっとびキャンプ

長野県長野市の聖山で行われている、小学生のキャンプ「ぶっとびキャンプ」に来ています。ぶっ飛んでいるキャンプに、刺激を受けてます。

現状の外に

現状維持は、マンネリと衰退。ゴールは常に現状の外側にすること。今までしらなかったこと、やったことのないこと現状の外側に今日、また一歩新たに。

祈りのご利益

イエスさまを信じて祈る生活は、心の中からふつふつとエネルギーが湧き上がってくる生活なんだよね。不思議なことに。 パウロは 「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していて…

「イエスの名が引き起こすこと」(2017年7月30日 花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

使徒言行録5:12-42 学校が夏休みに入りました、旅に出たり、ふるさとに帰省(きせい)なさったりしておられる方もおられますね。 先週派遣式をしたFくんは、今頃旭川の教会で礼拝をしているでしょう。 今日は、東福岡教会のK先生ご家族が、休暇で帰省されて…

「良心と言葉」(2017年7月30日週報巻頭言)

「あったもの」を「ない」と言い、「あった出来事」を「なかった」と言っているのではないか。言葉こそ命の言論の府において、言葉に対する疑いと疑惑が尽きない、むなしさを思う昨今です。 さて、今年はマルティンルターから始まった、宗教改革から500年目…