今日、誰かと共に笑顔でいれたなら

 妻の父は、数年前に68才で亡くなりましたが、義父はある日突然医者から余命宣告を受けたんですね。
なにも治療しなければ、3ヶ月。抗がん剤をすれば6ヶ月。そんな内容だったと思います。

 わたしはそれを聞いた時、複雑な思いがしました。そもそも「余命宣告ってなんなのだ」、ということと「延命のための抗がん剤治療ってなんなのだ」ということです。

 結局、義父は抗がん剤治療を選択しましたけれども、副作用で味覚を失ってしまい、何を食べてもゴムの味しかしないと、暗い顔をしていました。そして医師の宣告とそれほど違わない時期に、天に召されていきました。

 この出来事を通してあらためて思わされたのは、この地上で生きる時間の「長さ」と、「質」という問題です。その両方を同時に選べない状況になったとき、わたしたちは、「質」を犠牲にしてでも「長さ」を取るのでしょうか。それとも「長さ」を犠牲にしてでも「質」を取るのでしょうか。

 いやいや、そもそも「長さ」は神様がお決めになることなので、こんな問い自体、ナンセンスなのかもしれません。

 明日のことは明日にして、今日、だれかと共に、笑顔にさえなれたなら、それでいいのかも知れません。