2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「人の正しさ、神の正しさ」(2016年10月30日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

ルカ16章14節〜18節 今日は何名かの方々が、青梅あけぼの教会の礼拝に出かけていますね。帰ってきたら、青梅教会は、どういう雰囲気だったかぜひ聞いてみたいものです。 また、昨日、九州の西南学院大学神学部の受験がありました。私たちの教会のTくんが、…

「現状維持の心地よさ」(2016年10月30日週報巻頭言)

動物園のライオンは、サバンナにいた頃は空腹に耐えながら、自分で餌をとるために歩きまわっていたでしょう。しかし動物園の檻の中で争いもなく、毎日おいしい餌までもらううちに、ライオンらしく駆け回っていた大草原の自由な姿はどこへやら。狭い檻の中の…

謙遜について考えた

日本人が「謙遜」というとき、それはただ、人より目立たないように振舞うことじゃないですか。誰かに向かって「少し謙遜になりなよ」といったりするのは、その人の能力をねたんでいう場合も多いでしょう。そもそも「謙遜」という振舞を、人に強要する人こそ…

礼拝の中の子どもたちの居場所

うまく歌えるかどうかはともかく、毎週、こどもたちが前に出てきて賛美してくれる教会って、実は、今の時代、実に貴重なんだよね。 ジュニアクラスの子供達

ネガティブスパイラル

よく、厳しい言葉でダメ出しをすることで、「なにくそー」とか「見返してやる」いうエネルギーを出させて頑張らせようとするけど、そこで生みだされるエネルギーって、否定され、尊厳を傷つけられた「恨み」によって生まれる負のエネルギーでしょう。恨みベ…

ミニ説教集

これからバプテスマを受けたり、教会に入会する人へのプレゼントとして、牧師の自己紹介と、うちの教会の雰囲気が伝わってきそうな、過去の説教から、いくつかをまとめて小冊子を作ってみました。

「神の霊の風が吹くなら」(花小金井キリスト教会 2016年10月23日 夕礼拝メッセージ)

エゼキエル37章1節〜14節 今日の朝の礼拝は「召天者記念礼拝」でした。先に天に召されていった方々を覚えて、地上で捧げる礼拝。キリスト教は、希望の宗教です。それは死が終わりではなく、体は滅びても、魂は天国に行くのだという、そういう希望ではなくて…

「わたしたちは主のもの」(花小金井キリスト教会 召天者主日礼拝メッセージ)

ローマ14:8-12今、私たちは、「召天者記念礼拝」を主にささげています。 「召天」とは、天に召されると書きますね。 この地上に生きるようにと神が命を与え、さまざまな出来事、出会いを、 なによりも神の愛、主イエスとの出会いの恵みを頂き、やがて天へ招…

「天のありか」(2016年10月23日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

青虫が生きている世界は、地面を這いつくばり、葉っぱを食べる世界。青虫に見えるもの認識できるものは、目の前のことだけ。まるで葉っぱが世界のすべてであり、それを食べることが生きる目的のように青虫は生きています。しかし時が来てさなぎとなり、「蝶…

「自分はこれでいい」という二つの方向性

「自分はこれでいい」という人々には、大きく二つの方向性があって、一つは、劣等感や不安感がベースとなって、「自分の存在価値」を守りたいという動機で、「自分はこれでいい」と頑固にいう場合と、もう一つは、ありのままの自分の存在を受け入れられた安…

「神の本気の救い」

教会は、いつも解放と喜びの「福音」を伝えているでしょうか。カルト問題に詳しいウイリアムウッド著「教会がカルト化するとき」という本の一節から紹介します。「聖書は、救われるための唯一の条件は信仰であると、終始一貫して語っています。 『あなたがた…

「救いを伝えよう」(花小金井キリスト教会10月16日夕礼拝メッセージ)

エゼキエル33:1-11 毎週、エゼキエル書を読み進んでいますけれども、先週が8章だったのに、今日は33章にまで進んでしまいました。 先週の個所を覚えておられますかね。故郷の南ユダから、異教の地バビロンにつれていかれた預言者エゼキエルが、幻の中で、故…

「富からの解放」(花小金井キリスト教会 10月16日主日礼拝メッセージ)

ルカによる福音書16章1節〜13節素晴らしい秋空となりました。ともに顔と顔を合わせて、天を見上げさせていただける恵みに、感謝です。 秋というと、食欲の秋とか芸術の秋とか、なにかゆっくりと腰をすえて「味わう」季節ですね。 わたしも先週、DVDの映画を…

「常識」というメガネをはずす

常識とは、昨日までの知識で、今日を生きること。 今日を過去のメガネをかけて見るので 今、目の前で新しいことが起こっていても、認識できない。 人間は過去の知識を元に、認識しようとするから それは、主イエスを見ていながら、その存在のあたらしさ、あ…

「自分を愛する」ことと「自分だけを愛する」こと

主イエスは「・・隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ19:19)と言われたように、「自分を愛する」ことと「隣人を愛する」ことは一つです。「自分」のことを大切にできないのに、「隣人」のことを大切にするというのは、どこかに無理があります。もっと…

「囚われ」からの解放と福音

人間は本来、愛にこたえて、自発的に良い行動へと動機づけられるはずですが、(エフェソ2:10) エゴに「囚われ」ていて、そうならないのが人間の実態であるわけです。パウロはそれを罪の法則(ローマ7:23)といいます。 つまり、聖書のいう罪の本質は、「悪いこ…

「神の愛の激しさ」(2016年10月9日 花小金井キリスト教会 夕礼拝メッセージ) 

エゼキエル8章1節〜13節夕礼拝では、先週に引き続きエゼキエル書を読み進んでいます。神様に愛され選ばれたアブラハムから始まった、神の民イスラエル。そして増え広がった神の民が、12部族連合から、統一王国となり、北と南に分裂し、北イスラエルはBC8世紀…

「天の親心」(2016年10月9日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

ルカによる福音書15章11節〜雨の日曜日となりました。先週の日曜日は素晴らしい秋空で、あちらこちらで運動会があって、教会のこどもたちも、家族の方もそちらに行かれたりして、少しさびしかったんですよ。ちょうど、聖書の箇所も、「見失われた羊」のたと…

「一緒に喜んでください」(花小金井キリスト教会2016年10月2日主日礼拝メッセージ)

ルカによる福音書15章1節から10節このところ、どんよりとした曇り空が続いていましたけれども、今日は素晴らしい秋空になりましたね。今、朗読されたルカの福音書の15章も、ある意味、13章、14章と、なんだかはっきりしない曇り空のようなイエス様の言葉、「…