2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」ヨハネによる福音書15章5節
子どもと散歩途中の花壇
「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」 ヨハネによる福音書6章35節
7月からこども英語教室の新しいクラスが始まります。出会いが広がる瞬間はいつもわくわくします。
「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 ル…
仙台からYさんと娘さんのMちゃんが礼拝に出席してくださり、感謝でした。Yさんは「のぞみ教会に説教台」を、と有志の方々が献金してくださったお金をもってきてくださいました。ありがとうございます。この小さな群れを覚え支えてくださる沢山の方々のご愛に…
昨日は教会の子ども会「のぞみキッズ」がありました。一つ嬉しいことがありました。それは、ある子が「ここにくると落ち着くんだよね」と言ってくれたからです。 ここにくると、「落ち着く」「ホッとする」そう言ってもらえる教会。素敵ですね。 今の時代、…
毎朝、子どもたちの登校班と一緒に15分かけて学校まで歩く。 今日、学校までこどもたちを見送って、家の近くまで帰ってきたら、2年生の男の子が一人で走ってきた。 たぶん寝坊したのだろう。自分の地区の登校班の子たちは、すでに行ってしまったのだ。 もう…
言葉にして語っていることをあますところなく実践する時にのみ、わたしたちは語ることができるのでしょうか。語る言葉と行動が全く合致していなければならないのだとしたら、私たちは耐えず沈黙していなくてはならないでしょう!しばしば私たちはまだ愛を十…
神の証人となるということは、この世界に神がおられることの生けるしるしとなることです。どのような生活をしているかということのほうが、どんなことを話しているかということよりも大切です。というのも、本物の生き方は、常に本物の話し方につながるから…
5時からの英語教室のまえに、早めに来て、宿題をしたり、遊ぶ子どもたち。 教会がいつもこどもたちの居場所になったらいいな。
神の霊は、私たちを通してどのように御自身を現わされるのでしょうか。 証をするとは、神を擁護するために人前で声を大にして話すことのように考えがちです。 このように考えると、私たちは人目を気にして神経質になってしまいます。 どこでどうやったら神を…
今日は、午前中来客。昨日近くの教会で声楽のコンサートをなさったOさんと御友人。Oさんは、5年前、まだわたしたちが小さな借家で日曜日に礼拝をしていたころ、東京の茗荷谷教会の青年たちと一緒にお手伝いに来てくださったことが最初の出会いでした。 http:…
山形教会から3名の方々が出席してくださいました。
今日は英語教室の体験会でした。直前まで申し込みがなかったのですが、今日の朝、申し込まれる人がいて、なんとか開催できました。 また、新しい子どもたちとの出会いが与えられそうです。
のぞみ教会が大好きで、最近礼拝に来てくださるようになったHFさん。 教会に冷蔵庫がないのを知って、今日、御自分の冷蔵庫を軽トラックで運んできてくださって、教会に捧げてくださいました。神さまは必要を満たしてくださいますね。感謝いたします。
キリスト教の衛星、インターネット放送のCGNTVの収録がありました。
朝、子どもたちの登校班について歩く。帰り道、道端の花を愛でながら歩くのが、日課。美しいな、と感じる心を大切にしながら
「・・シモンを招きなさい。あなたと家族のものすべてを救う言葉をあなたに話してくれる」使徒11:14 「弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。」使徒11:29初代教会は飢饉がおこった時、つながりを通して助け合…
教会の子ども英語教室が始まる前に、クラスに来たこどもたちと教会の庭の芝刈りと掃除 楽しみながら、きれいにするって、気持ちいいね。虫もいたね。
神を「アッバ、父よ」と呼ぶことは、神に呼びやすい名前をつけることとは違います。神を「アッバ」(パパと言う意味)と呼ぶことは、イエスと神との間にあったような親しさや安心や信頼あふれる関わりに入ることです。この関わりは聖霊と呼ばれ、イエスによ…
今日の礼拝にお近くに住むIさんが子どもさん二人と御一緒に来てくださり、特に嬉しかったのは4年生の上の子が最後まで礼拝に参加してくれたことでした。 今日はすこし長めの説教でしたが、ずっと聞いているのがわかります。やがてそのみ言葉はどのような実…
「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われた」ヨハネ20章19節 イエスさまを見捨てて逃げ去った弟子たちは、自分たちも捕えられるのではないかと恐れ、…
今日の「のぞみキッズ」は、<つくってたべよう> ゲーム、賛美のあと、のりまき、たこやき、クレープの三つを、いろいろな具を 自分で選んで、自分で作って食べました。 たこやきの具に、たくあんをいれても、バナナをいれてもなんでもよし。 みんな、自分…
ここ数カ月、聖書教育2013年1月〜3月号の「聖書の学び」の執筆と校正のやり取りが続いていて、昨日、やっと最終の校正原稿を編集室にメールする。校正といっても、字句の訂正にとどまらず、編集の先生と内容までかなり突っ込んだやり取りとなり、自分の気が…
イザヤ66:1-2「主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに/わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。 これらはすべて、わたしの手が造り/これらはすべて、それゆえに存在すると/主は言われる。 …
しばしば私たちは身を引いてイエスとの間に隔たりをおいています。「イエスが御存じだったことを知ることはできないし、イエスがなさったことをすることも出来ない」と私たちは言います。しかし、イエスは御自身と私たちとの間に、決して隔たりを置かれてい…
今日はお祈り会。IさんHさん。自分の賜物、奉仕についてみ言葉からの学び、お祈り 午後はHさんと9日ののぞみキッズの準備。教会の案内や英語教室のチラシも配る。 御言葉の種は蒔かれたなら必ず実る。ただどのように実るのかは神さまだけが知っている。