あとはおまかせ

shuichifujii2012-06-08

 ここ数カ月、聖書教育2013年1月〜3月号の「聖書の学び」の執筆と校正のやり取りが続いていて、昨日、やっと最終の校正原稿を編集室にメールする。

校正といっても、字句の訂正にとどまらず、編集の先生と内容までかなり突っ込んだやり取りとなり、自分の気がつかなかった聖書の読み方ら視点を発見させられて、感謝しているし、「それはどうかなぁ」とか「ちょっとくどいかな」とか、赤を入れてくれたE先生の文章と、対話しながら楽しんでいる。


 今回で「聖書の学び」の執筆は3回目。「聖書教育」誌の執筆は、編集のE先生から依頼される。E先生に頼まれると、なんだかちょっと断れなくて、ついつい引き受けてしまう。

初回の執筆は「詩篇」だった。

3か月のカリキュラムを全部「詩篇」をテーマに学んだのは「聖書教育」誌では初めて。「前例」を参考にできず、苦心した。

まず、150編ある詩篇から、13をピックアップするのが一苦労。その頃は、聖書箇所の選定案の作成から、執筆者がしており、「聖書の学び」にくわえ「こどもメッセージ」も合わせて執筆していたので、かなりの分量を書かねばならなかった。詩篇は書かれた背景がはっきりしないものが多い。詩篇から子どもメッセージを作るのは生みの苦しみ。でも、おかげで、詩篇をなんど読んだことか。それは恵みだった。


2回目はルカによる福音書。ここからは物語として聖書を読むという企画となり、編集のほうで聖書箇所を決めてくださったし、「こどもメッセージ」は別の方が書いてくださるようになったので、執筆自体は少し楽になった。

しかし、ルカの福音書の中でも、あまりにも有名な箇所ばかりが取り上げられていたので、執筆前の編集会議において、参加された先輩の牧師先生方から、さまざまな聖書の読み方、解釈が提示され、なかなか執筆の方向性が定まらず、混沌とした中で、会議の時間が記録的な長時間となってしまった。

ただ、そんな生みの苦しみのなかから生み出されたものだったにも関わらず、出版後に「わかりやすかったですよ」という声がとどいたりして、こんな者の書いたものを用いてくださる神さまに、感謝した。もちろんそこには、わたしの書いた「脇の甘い」文章を、ちゃんと整え、矯正してくださる編集人の業があったわけだが。


そして3回目。今回はマタイの福音書。これまた超メジャーな箇所。前回の反省から、編集会議の時間が長くならないようにと、執筆者として執筆のポイントを十分準備して会議にのぞんだ

にもかかわらず、結局会議時間が、記録を更新してしまった。もう、頭の中はぐちゃぐちゃになり、疲れ果て、執筆会議から帰ってから、しばらく執筆に取り掛かれなかった。今までの2回を上回る生みの苦しみ。でも、生まれてしまったら、苦しかったことは本当に忘れてしまうものなのだ。

とにかく、読んでくださる方に、聖書の福音がわかりやすい言葉、そしてあたらしい言葉としてとどいてくれることを願って。

ただ内容はどうであれ、最終的には神さまがそれを用いてくださって、神さまが良い実を実らせてくださることにおゆだねするだけ。

あとは、編集人のE先生と神さまにぜんぶおまかせです。