2016-01-01から1年間の記事一覧

2016年もいよいよ終わりますね。この年末おわされている重荷、おもいわずらい、なやみから、すこしでも自由にされますように昔、語ったメッセージビデオです。よければどうぞhttp://japan.cgntv.net/movie_player.php?number=2649&sub_number=50514 http://j…

「博士たちの贈り物」(2016年12月25日 花小金井キリスト教会 クリスマス主日礼拝 メッセージ)

マタイによる福音書2章1節〜12節 わたしたちは、今日、この時間、それぞれに、ほかの場所ではなく、この場所に来ることを選んで集まってきました。今日初めて、教会の礼拝に来られた方もおられるでしょうか。久しぶりの方もおられるでしょうか。なぜ、クリス…

その名は「主は救う」(2016年12月18日 花小金井キリスト教会礼拝メッセージ)

マタイによる福音書1章18節〜25節 主を待ち望むアドベントクランツに4本目の火が灯りました。 先週の13日の火曜日。わたしたちの教会員の、Yさんが、主のもとに召されていきました。 施設から、月に一度、車椅子のベットで、会堂の入口付近で、礼拝をささげ…

「眠れぬヨセフと主の使い」(2016年12月11日花小金井キリスト教会 主日礼拝メッセージ)

マタイによる福音書1章18節〜21節 先週、わたしは映画を観に行きました。「この世界の片隅に」という映画です。アニメ映画ですけれども、今、ちょっとした話題になっている映画なのです。第二次世界大戦の時代の、広島と呉を舞台に、一人の少女の日常が淡々…

「ぶっつけ本番」

どんな人も、リハーサルなどしないで、 自分の人生を、初めて生きていくわけでしょう。 子も親も、「ぶっつけ本番」でやっているので ある意味、「うまくいくわけないじゃん」って、 開き直っていいと思うんですよ。 だれ一人、事前に入念に練習して、 人生…

「神様がつないだ系図」(2016年12月4日主日礼拝メッセージ)

マタイによる福音書1章1節〜17節子どもたちによって、アドベントクランツに二つ目の火がともりました。 主イエスの到来を待ち望む、アドベントの第2週です。主イエスを待ち望むアドベントといっても、もちろん、主イエスはすでに、約2000年前、この世界に来…

クリスマスに子どもたちで劇を

こどもクリスマス会にむけて、こどもたちはクリスマスの劇の練習衣装を身につけると、みんな、その気になってくるみたいだね

「福音のために、どんなことでも」(花小金井キリスト教会 11月27日主日礼拝 メッセージ)

1コリント9:19−23今日も、この場所にともに集うことができました。先週は雪が降りましたね。急に寒くなりましたから、体調を崩されて、今日、この場に集えない方もおられるでしょう。肉体には限界があるわけですね。わたしも最近、50肩になってしまっ…

11月23日の花小金井キリスト教会の、昼のお祈り会はおやすみです。

視点を上に

兄妹けんかって、なぜ起こるのかといえば こどもは、視点が自分の目の前にしかないので、 自分がやられたこと、損をしたことだけしか見えないから起こるわけです。 でも、親はこどもよりも上の視点からみるので、 兄妹のどちらにも、良いところも、良くなか…

自己対話

人は、無意識のうちに一日中自分自身のなかで、自己対話をしています。その多くは、自分を否定していたり、責めている言葉です。「あのとき、ああしておけばよかった」「失敗した」「自分には無理」そういう言葉を自分の中で自分に向って語り続けている人は…

「祈ってください」(2016年11月13日花小金井キリスト教会 主日礼拝メッセージ)

エフェソ6:18-20 11月は毎年、わたしたちの仲間の宣教師を覚えて祈る、世界祈祷週間の礼拝を、何回かにかけてささげます。 今、私たちがここで当たり前のように礼拝しているのも、だれかが自分の心地よい場所から離れ、この日本にまでやってきて、福音を伝え…

わたしにとって「福音」とは

わたしにとって「福音」とは人を、「弱者」と「強者」、「まずしいもの」と「金持ち」と単純に分け弱いものの側に立って、強いものを批判しあらたな分裂と対立を生み出すものではなく、むしろ、弱者も強者も、ともにこの世界におかれた尊い人であることに目…

エネルギーの無駄使い

新しい「物語」の中身を読みはじめるまえに、過去から推論して、きっとこんな内容に違いないと勝手にネガティブなストーリを思い描いて今日という日を、不安に生きる必要はないんですよ。というか、エネルギーの無駄使いですよ。

やらされ感

「やりたい」という思いからではなく、「やらねばならない」という思いは、人 をネガティブにします。そうはいっても、勉強も仕事も「やりたい」ことだけではなくて、「やらねばな らない」ことがあるでしょう。と言いたくなるかもしれません。その「やらさ…

過去の選択

過去の選択に後悔する必要など、全くありません。なぜなら、あのとき、ああしておけば、こうなったんじゃないか、という「こうなった」は頭の中の「理想的妄想」であり妄想に勝てるわけがないので、考えるだけ時間の無駄だからです。過去の選択に悩む必要など全…

視点を上げる

知らない道を歩いていて、迷子になるのは、地図がないからでしょう。地図の視点は、上からの視点。視点が低く、目の前だけを見ているなら、迷うけど、視点を上にあげさえすれば、ほかにもちゃんと道があることが、見えてくるものです。さてなぜ「聖書を日々…

「死の彼方から響く声」(2016年11月6日花小金井キリスト教会 主日礼拝メッセージ)

ルカによる福音書16章19節〜31節先週の礼拝では、無事にT君の西南神学部の試験が無事に終わりましたと、ご報告しましたけれども、うれしいことに、今日は、無事に合格しましたと、ご報告できることを感謝しています。後で、報告の時間に、本人から、ひとこ…

「人の正しさ、神の正しさ」(2016年10月30日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

ルカ16章14節〜18節 今日は何名かの方々が、青梅あけぼの教会の礼拝に出かけていますね。帰ってきたら、青梅教会は、どういう雰囲気だったかぜひ聞いてみたいものです。 また、昨日、九州の西南学院大学神学部の受験がありました。私たちの教会のTくんが、…

「現状維持の心地よさ」(2016年10月30日週報巻頭言)

動物園のライオンは、サバンナにいた頃は空腹に耐えながら、自分で餌をとるために歩きまわっていたでしょう。しかし動物園の檻の中で争いもなく、毎日おいしい餌までもらううちに、ライオンらしく駆け回っていた大草原の自由な姿はどこへやら。狭い檻の中の…

謙遜について考えた

日本人が「謙遜」というとき、それはただ、人より目立たないように振舞うことじゃないですか。誰かに向かって「少し謙遜になりなよ」といったりするのは、その人の能力をねたんでいう場合も多いでしょう。そもそも「謙遜」という振舞を、人に強要する人こそ…

礼拝の中の子どもたちの居場所

うまく歌えるかどうかはともかく、毎週、こどもたちが前に出てきて賛美してくれる教会って、実は、今の時代、実に貴重なんだよね。 ジュニアクラスの子供達

ネガティブスパイラル

よく、厳しい言葉でダメ出しをすることで、「なにくそー」とか「見返してやる」いうエネルギーを出させて頑張らせようとするけど、そこで生みだされるエネルギーって、否定され、尊厳を傷つけられた「恨み」によって生まれる負のエネルギーでしょう。恨みベ…

ミニ説教集

これからバプテスマを受けたり、教会に入会する人へのプレゼントとして、牧師の自己紹介と、うちの教会の雰囲気が伝わってきそうな、過去の説教から、いくつかをまとめて小冊子を作ってみました。

「神の霊の風が吹くなら」(花小金井キリスト教会 2016年10月23日 夕礼拝メッセージ)

エゼキエル37章1節〜14節 今日の朝の礼拝は「召天者記念礼拝」でした。先に天に召されていった方々を覚えて、地上で捧げる礼拝。キリスト教は、希望の宗教です。それは死が終わりではなく、体は滅びても、魂は天国に行くのだという、そういう希望ではなくて…

「わたしたちは主のもの」(花小金井キリスト教会 召天者主日礼拝メッセージ)

ローマ14:8-12今、私たちは、「召天者記念礼拝」を主にささげています。 「召天」とは、天に召されると書きますね。 この地上に生きるようにと神が命を与え、さまざまな出来事、出会いを、 なによりも神の愛、主イエスとの出会いの恵みを頂き、やがて天へ招…

「天のありか」(2016年10月23日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

青虫が生きている世界は、地面を這いつくばり、葉っぱを食べる世界。青虫に見えるもの認識できるものは、目の前のことだけ。まるで葉っぱが世界のすべてであり、それを食べることが生きる目的のように青虫は生きています。しかし時が来てさなぎとなり、「蝶…

「自分はこれでいい」という二つの方向性

「自分はこれでいい」という人々には、大きく二つの方向性があって、一つは、劣等感や不安感がベースとなって、「自分の存在価値」を守りたいという動機で、「自分はこれでいい」と頑固にいう場合と、もう一つは、ありのままの自分の存在を受け入れられた安…

「神の本気の救い」

教会は、いつも解放と喜びの「福音」を伝えているでしょうか。カルト問題に詳しいウイリアムウッド著「教会がカルト化するとき」という本の一節から紹介します。「聖書は、救われるための唯一の条件は信仰であると、終始一貫して語っています。 『あなたがた…

「救いを伝えよう」(花小金井キリスト教会10月16日夕礼拝メッセージ)

エゼキエル33:1-11 毎週、エゼキエル書を読み進んでいますけれども、先週が8章だったのに、今日は33章にまで進んでしまいました。 先週の個所を覚えておられますかね。故郷の南ユダから、異教の地バビロンにつれていかれた預言者エゼキエルが、幻の中で、故…