2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

コンパッション

「教会は、しばしばわたしたちを深く傷つけます。宗教的権威を持った人々が、言葉や態度、命令などで、わたしたちを傷つけることがよくあります。宗教が生と死の問題にかかわるものだというまさにその理由のために、宗教的に繊細な感受性をもつ私たちは、い…

幸いな人

昔、聖書教育誌に書いた原稿など、すこしアップしてみましょうかね。 詩篇1編からの、子どもメッセージです。 1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず 2 主の教えを愛し/その教えを昼…

川内と書いて「せんだい」と読む場所

鹿児島県には、川内とかいて「せんだい」と読む地名があるんですね。その地にある川内(センダイ)バプテスト教会の牧師さんは、川内(かわち)牧師今回、鹿児島地区の教会によびかけて、私を集会に呼んでくださった方です。地名とおなじお名前なので、てっ…

枕崎と伊集院にて

今日は8時半に伊集院を車で出発1時間とちょっとかけて、鹿児島の突端、枕崎へ九州に台風が上陸する玄関口なので、台風上陸の際には、ここの港の映像がテレビで使われる、そんな場所。日差しが眩しく、暑い。ああ、冬の背広を着てきてしっぱいしたな。さすが…

妙円寺詣りのゴールは「徳重神社」

宿泊している日置市伊集院では、24日、25日に鹿児島三大行事といわれる「妙円寺詣り」があるんです。関ヶ原で負け、敵中突破をして薩摩に帰ってきた島津義弘を忍ぶ形で義弘の 菩 提寺である、「妙円寺」に詣る行事なのだそうです。今朝早くおきて、そうだ「…

西郷さんと聖書と庄内

鹿児島にある4つの教会でお話をするために、鹿児島に来ています。もうすぐ11月なのに鹿児島は、まだ暑い (>顔合わせの前の数時間。時間があったので、鹿児島市内観光。 実は酒田にいた時から、鹿児島に行くことがあったら行ってみたかった西郷さんの遺品や資…

考え方と自分自身

人の悩みを聞くなかで、感じるのは、その人の「考え方」が、結局、自分自身を苦しめているということその「考え方」が、他者との関わりの中で、自分の行動を生みだすし、その「考え方」が、様々な出来事を解釈するのだから。状況を変えたいと願うなら、むし…

「愛には恐れがない」(2015年10月18日花小金井キリスト教会夕礼拝)

ヨハネの手紙1 4章13節〜21節 今日の朝は、天に召された方々を覚えて、礼拝を捧げました。 天に召された方々の写真を玄関に飾らせていただきましたけれども、写真を見ると、その方と歩んだ日々が、出来事が、懐かしく思いだされるものですね。 ある姉妹は、…

「本国は天にあり」(2015年10月18日召天者記念礼拝メッセージ)

フィリピの信徒への手紙3章12節〜4章1節今日の礼拝は、召天者記念礼拝として捧げられています。今日、初めて教会の礼拝に来てくださった方もおられるでしょうから、すこしだけご説明いたしますと、「召天者」とは、天に召された者という意味です。 今、地上…

悪口って

悪口って、悪意からでる、というより、自分の存在価値の不安、自信のなさを抱えている人が、「だれかのことを悪く言える自分は、その人より上の人間なのだ」と自分の価値を自分で引き上げようとしている場合も、あるんですよ。牧師として、あなたは、天の親…

敷居のこと

この前の木曜日の教会カフェには、前からうちの教会に興味があったけど、敷居が高くて入りにくかったんです、という近所にお住まいの女性が来てくださり、嬉しかったですね。

内面の鏡

人にはよく見せているつもりでも、人間の内面って、たとえば店で不慣れな店員さんとか、アルバイトの人に対する不遜な態度とかに、現れていたりするんだよね。

なれたらいいな

目下の人にも礼を尽くすこと面倒だとおもったら、むしろすること・・にもかかわらず、ほほえむことそんな人になりたいな

「み言葉を聞く奉仕」(2015年10月11日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

ルカによる福音書8章4節〜15節 今日は、8月に生まれた、Hちゃんとご家族の上に、祝福がありますようにと、教会の家族みんなで、祈ることができました。 嬉しいですね。 思えば、おとうさんのMさんと、おかあさんのSさんが、この花小金井教会で出会わなければ…

「主イエスに仕えた女性たち」(花小金井キリスト教会2015年10月4日主日礼拝メッセージ)

ルカによる福音書8章1節-3節 8:1 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。 8:2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出…

さあ

さあ、自分の心を解放してあげましょう。人や状況のせいにしなくていいんです。周りの状況も、どんなに身近な人も、だれも自分自身の心に、手を触れることは、できません。自分の心を縛りつけ、苦しめることができるのは、自分自身だけなのです。箴言4章23節…