幸いな人

昔、聖書教育誌に書いた原稿など、すこしアップしてみましょうかね。
詩篇1編からの、子どもメッセージです。

1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。


みなさんは、幸せな人とはどんな人だと思いますか?

 自分のほしい物がなんでも買ってもらえる人でしょうか。自分のしたいことはなんでもできる人でしょうか?

 きっと聖書を読んで、神様の言葉を覚えているみなさんは、「それは違うよなぁ」と思ったことでしょう。

 昔、イスラエルの人たちが、神様への感謝やお祈りの言葉をまとめた「詩編」というものがあります。

 その「詩編」の一番最初には、「主の教えを愛する人こそ幸いな人」と書いてあるのです。

 みなさんも、教会に来たら聖書を読み、そこに書かれている主の教えを覚えたりするでしょう。そうやって心に覚えた主の教えを、困ったときや悲しいときに思い出したことがある人はいますか? 聖書の言葉を覚えたら、きっと助けになることでしょう。

 
 でもただ覚えるだけではなく、いつも心のなかで、主の教えを思い、口ずさむ人は幸いな人です、と詩篇には書いてあります。主の言葉を思ったり、口ずさむとは、心の中でお祈りすることでもあります。


 川のほとりに植えられた木は、川からしみてきた水を吸うでしょう。そして神様が、たくさん甘い実を実らせてくださいます。主の教えは、その川の水のようなものです。主の教えという水が心に流れてきたら、神様はその人の心の中に、正しい考えや、人を大切にする心という、良い実を実らせてくださるのです。


 でも、主の教えが嫌いな人はどうでしょう。そういう人は、もみ殻のように、風が吹くと吹き飛ばされてしまいますと、詩編に書いてあります。もみ殻というのは、麦の周りを覆っていた皮のことです。麦の中身を取り除いて、あとに残ったのがもみ殻は、とても軽いので、風で簡単に吹き飛んでしまうのです。


 主の言葉を忘れて、あのお友達の言葉、このお友達の言葉が気になって、心があっちにいったり、こっちにいったり揺れませんか? ちょっといやな事があると、まるで風に吹かれたもみ殻のように、すぐ心が吹き飛ばされてしまうことはないですか?


 イエスさまも、土台がしっかりしていない家は、風に吹かれて倒れてしまう、というたとえ話をなさいました。


 主の言葉を愛して、昼も夜も口ずさみ、祈る人は、たとえ心の中に不安やおそれという風が吹いてきても、吹き飛ばされることのない幸いな人です。


 そんな幸いな人の歩む道を、神さまはいつも見守っていてくださるのです。