「あたらしいものを生み出す通り道」   藤井 秀一

  11月、私たちの教会は「宣教」をテーマに共に「使徒言行録」のみ言葉に耳を傾けています。今日の礼拝において読まれる使徒言行録8章1節後半から5節では、初期エルサレム教会が直面した最初の迫害について記されています。

 

この迫害は、敬虔なリーダーであるステファノの殉教から始まりました。彼は、初代教会において選ばれた七人の執事の一人でした(使徒6:5)。彼らの任命は、教会内でヘブライ語を話すユダヤ系クリスチャンとギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャン(ヘレニスト)間の緊張を緩和するためでした。特に、ヘレニストの未亡人たちが日々の物資分配で見過ごされているという問題があったからです。

 

ステファノたちの働きにより、この対立は和らぎ、使徒たちは神の言葉を伝えることに専念できるようになりました。ステファノ自身も「信仰と聖霊に満ちた」重要な人物であり、その後の彼の殉教は、教会に深い悲しみをもたらしました。さらに、彼の死が教会への迫害へと発展し、まさに「泣きっ面に蜂」の状況が引き起こされ、教会は散らされてしまったのです。

 

しかし使徒言行録は、この苦境が福音の新たな地域への広がりをもたらしたという話の流れになっています。つまり神は、エルサレム教会を新しい境地へと導くために、このような苦難を用いられたと証言しているのです。この初代教会の証言を読む時、わたしたちも苦しみの中に隠されている神の意図を、深く考えさせられます。

 

2020年から続くコロナ禍は世界中の教会に大きな苦難をもたらしました。しかし、この苦難を通じて新しい伝道の方法も生まれ、今まで届かなかった人々に神の言葉を伝える機会となったことを私たちは知っています。苦難は、新しいものを生み出す通り道。この希望を忘れず、前に進んでいきたいと思います。