本物の生き方、本物の言葉

shuichifujii2012-06-20

神の証人となるということは、この世界に神がおられることの生けるしるしとなることです。どのような生活をしているかということのほうが、どんなことを話しているかということよりも大切です。というのも、本物の生き方は、常に本物の話し方につながるからです。隣人を心から許す時、私たちの心は許しの言葉を語るでしょう。感謝の思いに溢れる時、感謝の言葉が語られ、期待と喜びに溢れる時、期待と喜びの言葉が語られるでしょう。
 言葉が時期尚早に語られても、その言葉通りに行っていないなら、私たちは二重のメッセージを伝えかねません。言葉と行いがちぐはぐなまま語る時、私たちはその二重のメッセージによって偽善者となってしまうでしょう。私たちの生き方が本物の言葉を私たちに語らせ、言葉が私たちを本物の生き方へと導きますように。

ヘンリ・ナウエン