今日の礼拝

shuichifujii2012-06-10

 今日の礼拝にお近くに住むIさんが子どもさん二人と御一緒に来てくださり、特に嬉しかったのは4年生の上の子が最後まで礼拝に参加してくれたことでした。
今日はすこし長めの説教でしたが、ずっと聞いているのがわかります。やがてそのみ言葉はどのような実りをみせてくれるのでしょう。神さまのお働きに期待します。


 わたしたちが自分の外側を飾りたくなってしまうのは、内側に不安を抱えていることの表れ。それは劣等感、自己否定感であるのだけれど。
その内側の不安は、人の言葉に素直に従えなかったり、過度に反発してしまったりする形でも現れる。その内側の不安は、突き詰めて言えば、自分はこのままではだめだという思い。だから頑張らないととなる。でも、そんなマイナスから出発しても、どこまでやってもだめで終わるだけ。マイナスに何を掛け算しても、マイナスになってしまうように。

 今どんな状態であろうと、罪やけがれを抱えていようと、その全てを神さまが贖い救い、聖なる者としてくださったのだ。十字架と復活による救いとはそういうこと。わたしは神に愛されている子。このアイデンティティーを見失ってはならない。わたしたちは、聖霊の宮。イエスさまが宿ってくださっている。そういうお互いを、神さまのいのちの恵みを受け継ぐお互いとして、尊敬しあい、愛し合い、祈りあいたい。そこに聖霊の働きが表れているから。うまくいかなく思える時、暗闇に感じるところこそ、実に、神さまが働いておられる現場。そう信じて、神さまに愛されている子としての誇りを抱いて、歩んでいこう。

「・・・命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません」1ペトロ3:7