無駄なことはないから

shuichifujii2010-09-19

今日は近くにある教会の先生が体調を崩され礼拝が出来ないということで、その教会の方がお二人わたしたちの教会の礼拝に出席してくださいました。

 お一人は9時からの教会学校から出席してくださり、子どもたちとともに踊りながら元気に賛美してくださいました。感謝。


 教会学校の聖書の箇所は、詩編121編で、友のために祈りましょうというテーマであったので、今日来てくださったお二人に、子どもたちは祈ってほしいことをインタビューして、カードに書き込み。


 お一人は、子どもたちのインタビューに答えて「タバコがやめられますように」という祈りの課題をリクエスト。10月1日から値上げですからねぇ。大変現実的な課題ですなぁ。


 教会学校が終わり、礼拝の時間にはTRさんも来てくださり、礼拝の中でもそれぞれが、「なぜいまここにいるのか」といういきさつ、神さまの導きを分かち合い。お互いのために祈りあいました。そして最後に美香が、病の義父のために祈りました。こうして、みなさんで祈りを合わせていただけたこと、本当に感謝でした。



 今、妻が義父のもとにいって不在なので、その分美香と嗣音がよく手伝ってくれます。
たとえば、食事の準備はわたしがしますが、食器の後片付けは子どもたちがしてくれます。



 普段は、妻が口うるさく子どもたちに言わなければなかなか動かないことも多い子どもたちですが、状況を感じ取って、自分から「なにか手伝うことはありますか」と聞いてきます。いい子たちです。


 大変な状況とか、試練というものは、正直その時は「こまったなぁ」と思うものです。しかし、人生は偶然が支配しているのではなく、主が導かれているのですから、ただマイナスにおわること、意味もなく無駄でしかないことは、人生に一つもおこらない。そう信じます。



 そういえば、礼拝の前に電話がなって、「礼拝というのは何時からやっているのですか」と女性の方が尋ねてこられました。


 きっと播かれたチラシをみて、電話してくださったのではないかなぁと思っています。


 すぐに変化は見えなくても、こつこつと忠実に神さまに喜ばれる働きをし続ける。それでいいのです。無駄なことなど一つもないのです。


「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」1コリント15章58節