「幸せな人」(今日の週報巻頭言)

shuichifujii2013-09-01

「幸せになりなさい」
君たちが宿題を出す頃に
おそらく僕は 天国にいるでしょう。
急いで報告に来るな。
ゆっくりでええから、
いつか 面とむかって
「幸せになったで」と
きかせてください。
待ってるで。
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 自分の余命を知ったある先生が子どもたちに出した宿題だそうです。
最後まで子どもたちのことを思う先生の心に感動します。

 しかし、この後、この先生は自殺してしまったということを聞き、複雑な思いになりました。この先生は「幸せになれた」のだろうかと?

 わたしたちは、どうなったら「幸せ」になれるのでしょうか。自分の思い通りになれば、幸せになれるのでしょうか。しかしそのような「幸せ」は、やがて自分の思い通りにならない死という現実をまえに、もろくも崩れ去る「幸せ」ではないでしょうか。

エスさまは、悲しむ者は幸いだとさえいわれます。その人は慰められるからであると。「神の」慰めを知るからであると。

 本当の幸せとは、自分の思い描く「幸せ」とか「不幸」など、遥かに超越した幸いのはずです。神との関係に生き、神の愛を信じ、人生の悲しみの時でさえ、神の慰めを知る喜びに生きる、絶対的な「幸い」

 これは自分の力で獲得する幸せではなく、神がくださる恵みです。しかもすでに与えられている恵みです。

 この神の恵みは机上の空論でも抽象的な概念でもありません。わたしたちに分かるようにと、神はイエスという人となり、十字架の上で命を犠牲になさるという具体的な形で、神の愛を示してくださったのです。

 今、あなたは、そのままの姿で、神に愛されています。復活し今も生きているイエスさまが、そのことに気付かせてくださいます。神の愛に気付いた人は、もう幸せになろうとしなくていいのです。すでに今、「幸せ」なのですから。