あちらこちらにうろちょろするのをやめて、たちどまって身近な世界を良く見つめてみると、見えてなかった宝がみえたりする。
なにかしていないと不安なときって、すでに神さまから与えられている宝が、見えなくなっているとき。
そういう意味で、日曜日の礼拝の1時間って、週に一度たちどまる、大切な時間。
たちどまるなら、また新たに走りだせるから。
「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」