先週21日(月)〜27日(日)まで夏期休暇をいただいたので、母のいる佐渡島を皮切りに、新潟、酒田、山形、蔵王を巡ってきました。
時折、大雨警報が発令されるような天候でしたが、それぞれの地で、人との交流を楽しんで帰ってきました。
酒田は、わたしの3人の子どもが幼稚園から中学校に至る、子育ての大切な時期を過ごした場所です。幼稚園や小学校のPTA関係で、一生の友人ができた大切な場所でもあります。
そんな仲間たちとの、年に一度の嬉しい再会。
それぞれの人生を歩んでいるのに、顔を合わせたとたんに、その空白がうまって意気投合できるのは、うれしいことです。
また、いまは閉鎖となってしまった、のぞみ教会でバプテスマを受けたIさんとも、懐かしい再会。
ほかにも、のぞみ教会のこども会を通して知り合った子どもたち、お母さん方との嬉しい再会。
「忘れられてしまったと思っていたけれど、覚えて会いに来て来てくれてうれしい」と言ってくれた、あるお母さんの言葉が、心に深く響きます。
教会として使っていた借家も、他の誰も借りることなく、そのままの状態で建っていました。でも、もしかしたら来年には、壊され更地になっているかもしれないという噂も聞きました。
そのようにして、のぞみ教会がこの地にあったという、面影としての「形あるもの」は次第にその姿を消し去っていくでしょう。
しかし、そこで出会った人と人との出会いを通して、それぞれの心の中にまかれた神の愛という命の種は、なくなることはないのです。
イエスさまは、弟子たちのために、建物とか、財産とか、形のあるものをこの地上に一切残さないままに、天に昇り見えなくなってしまいました。
しかし、残された弟子たちのなかに、めにみえないイエス様は宿られ、働かれたのでした。
そういう意味で、当時目に見える「のぞみ教会」を通して働かれていたイエス様は、今はめにみえない形で、神の愛を宿したひとり一人の中で、働き続けてくださっているはずです。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」ヘブライ人の手紙13章8節
目に見える状況、形は変化しても、イエス・キリストが働かれていることは、何一つ変わっていないのです。
人々の内にまかれた命の種。
それは、いつまでも残り、働き、成長していくのです。