「決断と祈り」(9月3日花小金井キリスト教会週報巻頭言)

 9月の主日礼拝ではマルコ福音書から「祈り」について、み言葉に聞いていきます。

 福音書には、主イエスが重大な決断をなさる前に祈る姿がいくつか記されています。
たとえば「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカ6章12節)
その次の朝、主イエスは弟子たちの中から一二人を選び使徒と名付けられます。

 また「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)
主イエスは、その後弟子たちに向かって「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」とご自分の使命をはっきりと宣言します。

 いずれも、天の父との祈りの交わりのなかで与えられた、確信と決断でした。

 さてあるクリスチャンの女性が、当時交際していた男性と結婚していいのか、やめたほうがいいのか、神様に答えを求めて祈っていました。祈っても神様からの答えが与えられないまま半年ほど経つと、いつのまにか彼女の祈りは「神様の御心がなりますように」と変えられていました。「あれか」「これか」と神様に答えを求める祈りから離れ、ただ自分の人生に神様の御心が実現することを祈り始めた彼女は、やがて私との結婚の決断をすることになります。

 「祈り」・・・それはほかの誰とも違う、神が与えた自分の人生の道(召命)を、歩み続ける勇気と力の源泉なのです。