水の流れ

川の水は常にながれているから新鮮。水溜りの水は淀みやがて腐る。

人の流れも同じ。いつも同じ人々とだけ顔をあわせる地域、会社、学校、教会はやがて、互いの関係が淀んでくる。

淀むとやがて腐る。

淀むと、お互いに相手への新鮮な思い、自分とは違う価値ある人とは思えなくなる。
そして、自分の立場や居場所を守るために、いつも批判や内輪もめがおこる。地域も、会社も、学校も、教会も・・

水は流れないと腐るから。

常に新しい人との出会いに心を開いて、その出会いによって自らが変えられていくことを喜びたい。

新鮮な水が流れる地域、会社、学校、教会は、自分たちの周りの人々を、どんどん潤していく。

 イエスキリストの周りには、思想や信条、立場を超えてあらゆる人々が集まってきた。全く違う人間同士でも、イエスが真中にいてくれるなら、一緒にいることができた。出会うことができた。

 そんな出会いの起こる現場こそ、イエスがおられる現場。

 教会(エクレシア)というあつまりは、そんな人と人とを出会わせる、イエスという福音の水のながれる現場のはずなんだ。