土下座

shuichifujii2013-10-08

今日の、クローズアップ現代のテーマは「土下座」

半沢直樹でも土下座のシーンは視聴率が上がったそうな。

少しの間違いでも、土下座をさせたがる現代人の真理ってなんだろう、という話をしていた。

江戸時代は、圧倒的な身分の違いが前提で、下の立場のものが、上のものに屈服することをしめすために土下座があったんだね。

土下座とは、相手に全面的に屈服する行為なのだ。

それを身分の違いのないはずの現代に、あいてに求めるのは不自然だな。

土下座をさせて溜飲を下げる人の心には、「その人を土下座させられるほど自分は大したものだ」という、偽りの自意識を満足させたい欲求があるんじゃないか。

それほど、自分の中に、なにか不安や恐れ、怒りが満ち満ちているのだろう。

今を受け入れ、心満たされ平安であるなら、人に土下座させて優越感に浸る必要はない。

自分の内面の不安の裏返しで、仲間をつくりたくて、誰かをスケープゴート(いけにえ)にするように、排除する、いじめるようになった現代の風潮も指摘していたな。

いずれにしろ、自分の存在の不安、不安の裏返しの怒り、心の満たされない時代人の象徴として、土下座ブームが起こってきているのだろうな。

だから、イエスさまの言葉を信じて、神さまに愛されている喜びと、自分の価値やアイディンテティをしっかりともつことができる人は、本当に幸いなんだよね。

「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
                 新約聖書ヨハネによる福音書6章35節