神様との時間

 自分で言うのもなんですが、私たち夫婦は、まあまあ仲がよいほうだと思います。共に過ごす時間がながいのですけれども、いっしょにいて、安心し、落ち着いて時を過ごせるのは、彼女のおかげです。よき伴侶を与えてくださった神様に感謝です。

 でも、私たちは、いつも一緒ではなく、それぞれが一人になり、聖書を読み祈る時間をもちます。神様との時間が、夫婦円満のためにも、大切です。


三浦綾子さんの本の中にこんな言葉がありました。


「夫といてなおも淋しきこの夕べ聖句幾つか胸に浮かび来」

「夫といてなおも淋しきこの夕べ」という言葉は、
愛する夫といながら、それでもなお淋しいと言っているわけだから、決して夫婦仲がしっくりいっていないわけではない。

 人間の生活に、最も愛する人といてさえ、なお淋しさを感じることがあるということなのだ。それは、言ってみれば宗教的な魂の飢えといおうか、人間本来の孤独といおうか、エデンの園を追われたアダムとイブの味わったであろうむなしさといおうか、その淋しさなのだ。これは人と人との間における問題ではなく、創造主なる神と、人間との間からくる淋しさといえるかも知れない。

 この淋しさを知ることが、人間には重要なのだと思う。

三浦綾子著「心のある家」講談社文庫


 それぞれが神様との時間を大切にすることで、お互いの交わりも豊かになるのですね。