天で会いましょう

 いつかはこの日が来るとは思っていたけれども、11日(火)に父が亡くなり、13日(木)家族と親しい人のみで、天におくりました。

享年77歳。

いろいろあった父でしたが、最後は息子のわたしが喪主として、牧師として父を送ることができ、感謝しています。


お別れの礼拝


聖 書
 「イエスは言われた『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。』(ヨハネ11章25節)

お 話
 最後のお別れをするまえに、一言だけ短くお話しさせてください。

わたしの父は1939年7月3日滋賀県に生まれ、東京に出てきて母と出会い、私と二人の妹をもうけました。アパレルの下請けで婦人服を作る小さな町工場を経営し、社長気質で、気が短く、とにかく怖い人だったというのが、わたしの子どものころの印象です。不況のあおりで、何度か家族で夜逃げのようなことも経験しました。やがて父と母とがわかれ、家族がバラバラになったことは、つらい経験でした。そして20年以上、父は音信不通。いったい生きているのか、死んでしまったのかわからないままとなり、その間に、3人の子どもたちはそれぞれに結婚し、つらい経験もそれぞれに経験しつつ、父のいない人生の日々を20年以上、過ごしてきたのでした。

 わたしは26歳の時にクリスチャンになり、やがて父の平安を祈るようになっていきます。
 今から数年前に父の所在がわかり、再会するようになります。私たち兄妹が知らない、20年以上の月日のほとんどを、Kさんは、まるで息子代わりのように、父とかかわってくださったことを知りました。父が心筋梗塞で倒れたのを発見してくださったのもKさんでした。残念ながら父はなくなってしまいましたが、ある意味、血のつながっている子たちより、父の近くで、寄り添いつづけてくださったKさんとの出会いを、神様が与えていてくださったことに、感謝しています。

 こどもたちとしては、様々な心残りもあります。しかしわたしたちは、お互いに不完全で弱い人間です。だれもが自分のことで精いっぱいなものでありますけれども、天の親は、そんなわたしたちをなお愛してくださっている。人間の親は、愛において限界があるけれども、天の親には愛の限界はありません。

だから大丈夫。天の親の子であるわたしの父の罪も、私たち子の罪も、みんなイエス様が引き受けて、赦して下さっています。

だから、喜んで天の親の元に送ります。

最後に、お父さんありがとう、そしてごめんね。

また、天で会いましょう。