今は、宣教師といっても、
すでにクリスチャンのいる教会とか、神学校とか、
そういう信頼関係の基盤がある場所で、
聖書をおしえる人が多くなったけれども、
わたしにとっての宣教師のイメージは、
誰も知り合いのいない、
信頼関係のない場所に入っていって、
よそ者ゆえに、避けられ、無視をされ、裏切られ、
そんな孤独に苦しみ、泣き、
でもどこまでも、その地に生きる人々と共にいきたいと願って、
同じ物を食べ、同じ生活をし、文化を愛し、
人々と出会い、一緒に泣いたり喜んだりしながら、
愛し、祈り、忍耐、忍耐で、信頼関係を育てつづけて、
地道に、愚直に、イエス様の愛を伝えつづける、
開拓者なんだよね。
教会も、教会の文化もほとんどない
東北の日本海側の小さな町は
そんな昔ながらの宣教師が
いまも求められている現場
なんだと思うんです