みんなの就任式

shuichifujii2015-06-15

 14日の午後は、花小金井教会の牧師就任式でした。

20教会からお祝いに駆けつけてくださいました。遠く山形や仙台からも来てくださり本当に感謝でした。

花小金井教会のみなさんが、様々な準備を重ねてくださって、愛と配慮に満ちた就任式となりました。

感謝の礼拝において、地域の教会の繋がりの中で、K先生からいただいた聖書のメッセージ

バプテスト連盟の諸教会を代表して常務理事のY先生、東京に連なる教会を代表してN先生からのそれぞれのご祝辞

今まで、そしてこれからの地域の繋がり、関係の中で4つの教会の代表の方々から、祝福と励ましの一つ一つの言葉

それぞれがこころに響きました。

この豊かなる教会同士の関係、繋がりのなかに流れる、キリストの命に生かされてきたからこそ、

今の私がありますし、そして、様々な教会の一人ひとりと出会い、形造られてきた花小金井教会も、きっとそうなのだと思います。

個人的には、これで教会の牧師としての就任式は3度目なのですが、

そのたびに、覚えあう関係の教会が、繋がりが増えていることを、主に感謝しています。

当日のプログラムに載せた、就任の辞と信仰経歴を、以下に添付しますね。

就任の辞


このたび、花小金井キリスト教会の総会において、私を御教会の牧師に招聘する決議をするに至った、すべての出来事と出会いを、主の導きであると信じ、主の「召命」の出来事に畏れつつ、謹んで牧師の働きをお受けいたします。

 1969年5月の教会組織から46年。御教会がこの小平市花小金井という地に立ちつづけ、歴代の牧師の方々、教友の方々が、幾多の試練や課題を乗り越えつつ、この所で毎週礼拝を捧げ続けてこられたその営みは、人の願いや力、計画を超えて、主が招き、主が出会わせ導かれてきた、神の民の歴史であると信じています。
 そしてこのたび、御教会の神の歴史の一ページにおいて、牧師の働きをするようにと、主は私を招いてくださいました。この所でなければ出会えないお1人お一人と出会い、福音を分かちあい、礼拝者へと招きつづけ、愛し合い支え合う繋がりが広げられていき、御教会が「キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長」(エフェソ4:13)していく神の民の歴史の一部を、みなさまと共に歩んでいきたいと願っています。

どうか、この弱きものが、牧師として託された働きを十分にしていくことができるように、お祈りを心から願いつつ、就任の辞といたします。


2015年6月14日


花小金井キリスト教
牧師 藤井秀一

履歴、召命と応答

藤井秀一
<履歴とバプテスマまでの証>
 1966年3月。東京都板橋区に生まれました。両親は洋裁の下請けの小さな町工場を営んでおり、私も小学生の高学年のころからは、軽作業などを手伝いながら、毎日朝から夜遅くまで働きつづける両親の背中を見て育ちました。今思えば、競争原理のもとに、どんどん小さな町工場がつぶれていった時代に、両親はひっしに私と妹二人を育ててくれたと思います。わたしは働き続ける両親の姿をそばで見続けてきたこともあり、技術を見につけて少しでも早く自立しようと工業高校の電気科に進みました。

 高校入学から始めた吹奏楽部で、指導してくださっていた自衛隊の音楽隊出身のOBと出会い、その人の生き方に憧れるようになって、高校卒業後、自衛隊の音楽隊に入る道へと導かれていきました。
 そして数年後、不況のあおりで両親の小さな町工場は倒産。そして両親の離婚という出来事を通るなかで、好きな音楽の仕事をしながらも、生きていくことのむなしさ、心の渇きを覚えるようになります。そんなある時、たまたま立ち寄った書店で目にとまったクリスチャン作家の三浦綾子の本と出会い、心が求めるままに、次から次へとむさぼるように彼女の本を読みはじめ、やがて自ら聖書を買い求めて、水を求めるようにして主イエスの言葉を求めるなかで、愛のない自己中心な自らの罪の姿に気づかされ、失望し、そんな自分を赦された主の十字架の愛と恵みに出会うなか、1992年6月に常盤台バプテスト教会において、戸上信義牧師からバプテスマを受けました。



<召命と応答>
 それまで人生に対する虚無感を強く感じていたこともあり、神に愛されていたことを知った喜びは大きく、バプテスマを受けたその時から、神様のお役に立つことへ思いはつのり、同時にその道へ進むことへの苦しい葛藤を感じ続けていた数年後、出エジプト記4章12節のみ言葉が心に迫り、夜学の東京バプテスト神学校に入学。自衛隊の仕事、教会の執事のほかに、神学生としての生活が始まりました。




 そして3年目、唇の調子を壊し、楽器の演奏が思うようにならなくなったことをきっかけに、自衛隊を退職。昼間は牛丼屋でアルバイトをしながら夜学の神学校に通いつづけました。30歳過ぎてのアルバイト生活は、生活の思い煩いを主にゆだねることの訓練となりました。当時フリーターをしていた私と、結婚をする決断をした妻に感謝します。結婚を決意したあとに、恵泉バプテスト教会から、教会の事務スタッフとして声がかかり、翌年から恵泉バプテスト教会で働くことになり、無事に妻と結婚。恵泉バプテスト教会では小河義伸牧師をはじめ、教会の方々の信仰から多くのことを学び、夜は神学校に通いつづけて、5年目に神学校を卒業。同時に常盤台バプテスト教会が主事として招聘してくださり2年、その後中田義直牧師との複数牧会へと招かれ、牧師として3年を過ごし、さまざまな出会いと出来事を頂きました。



 その常盤台教会での働きにおいて、教会から伝道隊を送っていた山形県の酒田伝道所の民家正純牧師が、病のため退かれることになりました。東北連合の開拓として、民家ご夫妻のみが遣わされていた伝道所。民家牧師ご夫妻との出会いの中で、酒田の人々への愛の思いを感じとっていた私は、もし後任の牧師を母教会が探しておられるのなら、私をその候補に入れていただきたいとお願いし、双方しばらくの間祈り葛藤の時をいただいた末に、山形教会および東北連合の総会の議を経て、2006年9月に酒田伝道所の牧師として招聘され、その後8年半の間、東北地方連合、酒田開拓伝道の牧師として仕えました。




 その間、東北の日本海側の閉鎖性と冬の吹雪の厳しさを味わい、何年もかけて地道に地元の方々と信頼関係を育てつづける忍耐を学びました。東北の諸教会や、たくさんの教会からの伝道隊、個人の方々の訪問に励まされ、わたしの3人の子どもたちのバプテスマと、2人の地元の方のバプテスマに励まされて、あきらめずに、福音を語り伝えることを学びました。昨年の秋、花小金井キリスト教会から牧師への招聘のお話を頂いた時、これまで酒田の地で生き、出会い、行ってきたそのすべてを手放し主に委ねるようにとの、主の呼びかけであると信じ、祈りと葛藤の時を経て、招聘をお受けいたしました。




 主が召して下さらなければ起こり得なかった、私と花小金井キリスト教会のお一人お一人との出会いを通して、主が働かれ、主が実現なさる素晴らしい出来事、業に、ひたすら期待し、委ねつつ、牧師への召命に応え、立たされてまいります。