召命とは

「神学の思考」佐藤優 より

・教会は、人間の自然発生的な共同体や自発的な結社のいずれでもありません。教会の主体は人間ではなく神だからです。神の意志によって呼び集められたという意識を持つ人々による共同体が、キリスト教会なのです。

・信仰は決断ではありません。決断というような人間の意思を木っ端みじんに破壊してしまう圧倒的な力が、「神の言葉」には備わっています。召命は、人間の理性や意思など内部から生じるものでは断じてありません。人間が手の届かない超越的な外部からの召命の声が聞こえてくるのです。

・シモンがペトロに、サウルがパウロに名を変えたのも、召命の結果なのです。・・・召命を受け入れる前とでは生き方が質的に変わります。
この変化について、「これらの人々の人生の重心が移り、人生が新しい内容を得たということを意味する。これらの人々のこの世の巡礼に新しい方向と目的を与える出来事が起きたのである。」と神学者フロマートカはいいます。

・召命を受け入れキリスト教徒となった人間は、旅に出るのです。イエス・キリストを頭とする教会は、「旅人の交わり」によって成立します。この巡礼の目的地は「神の国」です。