神(仏)さまは取引相手?

shuichifujii2014-04-24


『良いことをしたから。正しく生きたから。沢山祈ったから。献金したから。

だから、神(仏)さまは、自分の言うことを聞いてくれるはず。なのにちっとも願いを聞いてくれない神(仏)さまなんて、神(仏)さまじゃない』

はっきりいって、こんな考えはやめたほうがいいですよ。こんな考えは不幸の元。


神(仏)さまを、「あの人」に言い換えてみれば、この浅ましさもわかるでしょう。

『わたしは「あの人」に良いことをしてあげたし「あの人」に喜ばれるように振る舞っているし、「あの人」に何度もお願いして、だいぶおごったり貢いだんだ。

だから、「あの人」は、自分の言うことを聞いてくれるはず。なのにこんなにしてあげても、わたしのいうことを聞いてくれない「あの人」は人間じゃない。』

もし、わたしが「あの人」の立場なら、こんな気持ちで近づいてくる人に「やめてくれ、裏心でわたしに近づくな。ちゃんとわたし自身を認めてくれ」と言いたくなる。

神(仏)さまも一緒でしょう。取引の相手じゃないのだから。神さまは。

エス様が教えてくれたのは、あなたをこの世に生んだ神さまは、あなたをこの上なく愛している天の父、天の親。神とあなたは、天の親と子という愛の関係。

信仰とは、この愛の関係への目覚めなんです。

でもそれは愛され、報われるために、いい子にならないといけないということじゃない。それじゃまた取引になる。

親は、どんな子でも、たとえ悪い子でも、弱くても、子を愛する。人間でさえそうなら、天の親の愛は100%、こちらの態度や能力、功績などで変わったりしない愛で子を愛する。

利用し合う取引相手ではない。
もっともこころの深いところで、誰もが必要としている、重要な関係。自分を認め、変わることなく愛し続ける天の親との関係。

この100%無条件の、天の親の愛に愛され続けていることに目覚めたなら、その子は安心して、平安に、ほおっておいても優しい子、善を愛する子に、育っていくもんなんです。

いや、すでに神さまが、様々な出会いや出来事(辛いことさえも)をプレゼントしてくださって、ちゃんと今までも育ててくださっていたし、これからもそうなんだ、とイエス様の言葉によって、自分がすでに神の子であることに気づくことが、救いであり、信仰なんだよね。