イエスさまと呼ぼう

shuichifujii2014-06-11

近くの知り合いが、夫婦の問題を抱えた。
小学生の子どもさんのことを思うと、心が痛む。
わたしも、両親が別れた経験をもつ子どもだった。
ただ自分の場合は、
その悲しみを経験したからこそ、
人の本当の生きる意味と喜びは、
仕事の成功でも、経済的な祝福でもなく
一番身近な人と、何気ない日常の日々を
たがいに信頼しつづけ、愛しつづけ、赦しつづけ、
一緒に生きつづけること。
ただこれだけだと悟ることができて、
今までの人生の選択において、
一度きりの人生を、無駄にせずに済んだと思う。
人間、死ぬ前に一番望むことは
人からの評価でも、名誉でもなく
愛する人が、ただ共にいてくれることなのだから。
人は、人と共に生きることのなかに、幸せを感じるようにと、
神さまによって造られているのだから。
神は愛。
そして人は神ではなく、愛も不完全。
むしろ、すべきこと、いうべきことが言えずに
一緒にいられなくなっていく。そういう罪深さを、心の奥に抱えている。
どこまでも愛しつづけられない
どこまでも赦しつづけられない
誰の心の中にも、そんな限界。自分のことばっかりになる罪深さがある。
でも、唯一
神さまだけは
あなたがなんど失敗しても赦し続け、
もう捨てられて当然、という状況であろうと、愛し続けている。
その神さまの愛に、めざめるようにと、
神はイエスという人として、神の愛を教え、語られた。
そして、人々から愛されず、赦されず、十字架につけられていった。
神と人、人と人とが一緒にいられない罪深さのすべてを身に受けた。
それは、そこから復活し、
すべてを新しくしてくださるために
だから
神さまは、今、わたしたちがどんなにぐちゃぐちゃであっても、
赦しつづけ、愛しつづけ、共にいつづけてくださる。
これが福音。
そのことに目覚めたなら、
今、どんなに希望がみえない現実でも、 
もうおしまいだと、思う現場でも
そこから一言
「イエスさま」と呼ぼう。
大丈夫。
神さまはわたしたちを救うことができるのだから。
やがて天において実現する
救いに至る長いプロセスの
その初めの一歩を
踏み出そう
【聖書のことばから】
ローマの信徒への手紙10章11節〜
「 ・・・・「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求める
すべての人を豊かにお恵みになるからです。
「主(イエス)の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです