無宗教な人って一人もいないんです。宗教の定義にもよるけど、一番広く定義をすれば、根拠なく何かを信じていることそのものが信仰であり宗教ですから。
よく科学と宗教を対立させる人がいるけれども、科学も実はこの宇宙には秩序があるという信仰の上に成り立っているんです。同じ条件で実験したら、いつでもどこでも同じ結果になる「はずだ」という、この宇宙の秩序への「信仰」がなければ科学はなりたちませんから。実は、科学もなんの根拠もなく、ある前提を信じている信仰のうえに立っています。
どんなひとも、なんの根拠もなく、疑うことなく信じている前提をもっているんです。たとえば、「人の命は大切だ」とか、「家族は大切だ」とか。みんなある意味それを信じる信仰者、宗教者だからこそ、その信じている価値観通りにならない現実を前にするとき苦しみを感じるのでしょう。
そして、そんな目の前の苦しい現実と向き合いながらも、なおそれを越えた希望を信じて、今日を生きる人は、間違いなく信仰者。
その「無自覚な信仰者」の世界の中で、イエスさまの言葉と出会って、この宇宙に秩序を与えたお方は、私を選び、愛し、存在させた、「天の父」なんだ。人生ちょっと大変だけど、わたしを存在させた「天の父」が何とかしてくださるでしょうと、希望を持ち続ける「自覚的な信仰者」となった人の集まりが、教会なんだよなぁ。