今日は秋晴れの青い空。水色から濃い青までのグラディーションが美しい
朝、子どもの登校班につきあって、学校まで行く。
登校班の集合は7時半。でもいつも少し遅れる。
ちょっと遅れてきた子に、「早く早く」と叫ぶわが子。
あなたもよく遅れるのにねぇ。つい人に「早く」って言いたくなるんだよね。
「早く早く」ってわたしたち親にいつも言われているからなんだろうな。反省。
「早くしなさい」「いそいで」「ぐずぐずしない」・・・・
いったいぜんたい、それはそんなに怒らなければならない悪なのかな。
「ゆっくりしなさい」「もっと遅く」「早すぎる」って怒られることはまずない。
遅いと待たされる。言いかえれば、待つこと、待たされること、イコール悪なのだ。「お待たせしてすいません」なんていうし。「待たせやがって」と怒るし。
でも、良く考えれば人間は成人するのに20年かかるし、野菜も果物も、実がなるまで、雨風を体験しながら、じっくり待たないといけない。
5歳で成人した人とか、三日で出来上がったナスなんて、ちょっとあぶない。
その待つというプロセス抜きで、人間も、野菜も、成熟した実にはならない。「もやし」でいいやというなら別だけど。
それならば、待つこと、待たされることは、悪ではなく、良いものを生み出すための素晴らしいプロセスであり、善のはず。
「もっとゆっくり」「急がないで」「ちょっとまって」
つねに今注がれている神さまの恵みを十分に味わい、成熟したい。