人間らしく、こそ

「・・・それは自分を神に全く明け渡しているときに、もっとも自分らしさが表れるというものです。私の行動は、それが私を通して働かれる御霊の行為であるときに、もっとも嘘偽り、見せかけがないのです。何よりも神を畏れているときに、もっとも人間豊かな人になれるのです。調和を持ってより深く神が私の内に内在されるに従って、私はさらに自由に生きるようになります。このようにして、私が最も人間らしい人間であるときに、神は世の人々の前で最も栄光をお受けになるのです」(Prayer Transdorming Friendship/James Houston p.243)

 神を信じるとか、神に自分を明け渡すとか、聖霊に満たされるということは、なにか普通ではない「宗教的」「儀式的」人間になることではないのだよね。

 まちがっても、カリスマチックで近寄りがたい信仰者になることだと勘違いしてはいけない。信仰宗教の教祖は、もう必要ないでしょう。

 罪によって見失しなわれた人間性を取り戻す。人間らしい人間になる。それがイエスさまを信じ、イエスさまに従い、聖霊に満たされるということ。

 神の栄光とは、なにか特殊な出来事のなかに表れるのではなくて、人が人間らしい人間であるところにこそ表れる、ということ。この簡単に思えることこそ実に難しく、それこそ神の奇跡が必要なのだから。