なぜ生まれたのか。なんのために。死ぬとどうなるのか。
心の奥で封印している、自分の目的と使命、存在意義のわからなさへの飢え渇き。
その心の奥でふたをしている飢えを、満たすことができるのは、仕事の成功でも、富や快楽や家族の愛でさえもない。そのようなものではごまかせない、心の奥の奥の空しさがある。
なぜ、なんのために、どこからきて、そしてどこへいくのか。
この人間だけが、人間ゆえにもつ、もっとも人間らしい問いと飢え渇き。
そしてその飢えは、人間を存在させた方だけが満たすことが出来る。
ゆえに、その方の言葉を語るイエスキリストの言葉と出会い、受け入れるとき、心の奥の奥の飢え渇きが満たされていく。
どんなに科学が発展しようと、人が信仰を求めずにはいられない理由は、この心の奥の奥の、飢え渇きにこそある。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』イエスキリストの言葉