断食の祈り

今朝、早天祈祷会で、中国の先生から教えられた断食の祈りについて


断食の祈りとは、禁欲主義ではない。生きておられる神様との関係を深めていくこと。


十字架の祈り。自分を捨てることのあらわれ。

食べるという基本的な権利さえ、主のためにささげる。
肉(罪の性質)を削るための祈り


ではどういうときに、断食が必要なのか。


1、罪を犯したときに
非常に罪深く、最悪の悪王といわれたアハブ王でさえ、断食して悔い改めた。

現代のクリスチャンの問題。罪に対する感覚が鈍い。罪をあまり悲しまない。罪の自覚において、アハブ王以下ではまずい。


2、危機の時に
ヨシャパテの祈り

非常な危機の時に、断食の祈りは、自分の肉の力によらず、神さまに頼る信仰の告白を意味している


3、大切な決断をするときに

断食をすると、霊的な感覚が鋭くなる。


4.自分の体を打ちたたいて、従わせるため

食欲は一番基本的な欲
食欲は罪ではないが、欲を管理しなければならない。自分が、体の言うことを聞くのではなく、体に自分のいうことを聞いてもらわなければならない


5、神のみ心がはっきりするために、実現するために
使徒13章
「断食していると、聖霊が告げた」
ある教会では、大切なことを決める時、断食していない人には発言権がない。


6、霊の戦い
「この類(悪霊)のものは断食の祈りによらなければ追い出すことはできない。」

 悪いものに対して、御名を宣言して追い出そうとしても、御名に力があるにもかかわらず、御名を宣言する者に問題がある場合がある。力が流れるパイプが詰まっているようなもの。ゆえに断食が必要となる。