祈りの力

 今日は、朝からちょっと嫌な思いをしたし、させてしまった。

たまに、自分の中にある悪い部分、暗闇が表にでてくるんですよ。そのきっかけは、外からやってきたとしても、それに反応している暗闇、影の部分が自分の中にあるんだよね。これは、まったく自分の問題。

心の中に闇がある。その闇は普段は表れてこないけれども、何かのきっかけ、怒りとか落ち込みとか、そういうかたちで表に出てくるわけです。

そんな闇なんて直面したくないし、見たくもない。ないことにしたい。でも、その闇のおかげで、祈りに導かれ、祈りに駆り立てられるもの事実なんです。ここで祈れなかったら、希望はないですよ。神さまにすがるしかない。憐れみを求めるしかない。自分では自分を救うことなどできないことだけははっきりしているのだから。


さて、ある祈りに関する本を読んでいたら、以下の文章に出会いました。

「祈りはわたしたちに、自分の持つ暗闇と向かい合い、それを暴くことを求めるからです。私たちにそのような祈りを促すのは、神が既に混沌の力を支配しているという事実です。ですから、私たちは祈りにおいて詩篇139編で語られているような確信を持って神のもとに行くことが出来るのです。

「たとい私が『おお、やみよ。私をおおえ。私の周りの光よ。夜となれ』といっても、あなたにとっては、闇も暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗闇も光も同じことです」


・・・神は私たちを道徳的に、霊的にまた心理的に新しい命へ引き上げることがお出来になります。私たちの暗闇を追い出す神の創造的な力を受け取ることで、祈りの生活は確実に成長していけるようになります。それは心の奥深くに抑圧されていた怒り、絶望的な恐れ、強迫神経症的な習慣を取り除きます。そして、無力感、絶望感、自分は失敗者だという意識、嘘の生活を送っているという罪意識、虚無感、自分は何をしてもダメという感情を破壊します・・・・

 神はそうした影を越えて一切の敵に勝利しておられ、また私たちの生活を支配している力がどれほど強力に見えてもなお、神は王の王でおられることを知るのです。それによって私たちは神に助けていただける希望が与えられ、こう祈ります。

「主を、あなたを信じます。私の不信仰をお助けください」

主を信頼するとは、神が既に自分に働いてくださっていて、この壊れた生活を越えて新しい健全な人生へ入るように招いておられることをはっきり認識することです。

暗闇がいつまでも勝利することはありません。光は闇に打ち勝ち、愛は邪悪と憎しみを破壊するからです。

「神との友情」ジェームスフーストン P.36

 今日は、この祈りの力を自らのこととして体験させられたな、と思う。

自分の中に隠れている暗闇に直面するのは、自分も周りもしんどい。でも、それによって祈りに駆り立てられ、自分の中にはたらく、闇を照らす神の力を体験することは、実に希望であるし、喜びだと実感しているのです。