使徒言行録4章23節〜31節
毎日、暑い日が続いていますね。特に、昨日は寝苦しくなかったですか。
今日、こうして教会に集えるのも、当たり前ではないですね。平日に体調を整えて、やっとの思いでここに来られた方も、おられることでしょう。
昨日は、あの炎天下のなか、近くのキャンプ場までいって、教会のこどもキャンプをしたのです。
かまどを炊いて、カレーつくりをしたんですよ。ご飯は、飯ごうで炊きました。写真がロビーに貼ってありますから、帰りに見てあげてください。
やはり責任者の立場としては、あの暑さの中で、出かけるか、出かけないか、実は、直前まで迷ったんですよ。
スタッフは私よりも人生の先輩ばかりでしたから、殉教者が出たらどうしようかと(笑)・・・迷ったわけです。
無理をしないで、早めに帰ってこようと、いろいろ頭の中で思いめぐらしていたのですけれども、
結果的には、大きな大木や、あずまやが日陰を作ってくれて、しのげたので、楽しく、最後までできて、神様の守りに感謝したわけでした。
さて、天気といえば、平日に教会の前を通られた方は、気づいておられると思いますけれども、
教会の前に、小さなブラックボードが置いてありますでしょう。平日、あのボードの日替わりで、その日の天気予報と最高気温を、書いてだしているんです。
下のほうに、小さく一言、聖書の言葉もちゃんとそえて。
特に、最近は暑いですから、天気や最高気温は、どなたも関心があるではないですか。だからちらっと見てくれる。
そしてついでに、下のほうに書いてある、イエスさまの言葉も、目にはいればいいなということです。
いいアイデアでしょう。天気予報とイエスさまの言葉をコラボした教会は、おそらく日本で、花小金井教会が最初じゃないかと思います。
また、こちらは、「月替わり」ですが、短いメッセージカードを用意して、ロービーに於いていますけれども、知人などに渡してくださる方もおられて、感謝しています。
なんとかして、福音を知らずに生きている方に、主イエスのことお伝えしたい。そういうわたしたちの思いが、キャンプや、メッセージボードや、カードなどの、様々な形となって現れ出ている、というお話がしたかったわけです。
さて今、礼拝では使徒言行録を読んでいます。
先週の礼拝では、ペトロとヨハネが、もうイエスの名で語ってはならんと、ユダヤの権威者たちに脅されたにも関わらず、
「いや、わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのだ」と言った箇所を読みました。
そして、メッセージの最後のところで、この花小金井教会ができたころのメンバーだった、山科さんという方が、先天性の体の麻痺という重荷を背負わされながら、イエスさまに出会い救われた喜びを、どうしても伝えたいのですと、沖縄、アメリカ、韓国、オーストラリアなど、世界にまで出て行って、イエス様のことを伝えた証を、ご紹介させていただきました。
それはまるで、使徒言行録3章で、「美しの門」の脇に置かれていた、足の不自由な人が、ペトロとヨハネの口を通して語られた、イエス・キリストの名によって、癒やされ、立ち上がって、神を賛美し始めた姿と、重なるお話だと思ったからです。
山科さんは、最後まで自分の足で歩けるようになったわけではなかったのですが、神さまが、必要な助けを、山科さんに与えてくださって、世界にまで出かけて行って、イエスさまの愛を伝える人生を生きることができたという、事実そのものが、神様の癒し、奇跡、しるしじゃないでしょうかという、お話をさせていただいたわけでした。
神様の癒し、奇跡は、実は気が付かないところで、気が付かない形で、すでに起こっている。そのことに目が開かれることが、信仰ということでしょう。
さて、今日は、その続きの箇所が読まれたわけですけれども、釈放されたペトロとヨハネが、教会の仲間たちの所に帰ってきて、「もうイエスの名をかたるな」と脅された状況を伝えたところから、お話は始まっています。
その話を聞いた仲間たちは、「そりゃ大変だ。もう捕まらないように、黙っていよう」とはいいませんでした。そうではなく、
彼らは、心を一つにして、天地を造られた神さまに、祈り始めたのでした。
彼らは祈ります。
この状況は、なにも想定外だったわけではなく、旧約聖書の詩編2編を引用して、聖霊によってすでに、聖書に記されていたことなのだといいます。
ユダヤからはヘロデ、異邦人からはピラトの名前を挙げて、ユダヤも異邦人も一緒になって、神に油を注がれたイエスに逆らい、十字架につけただけではなく、
今も、イエスの名で語る教会を、迫害するのも、それは、もっと大きな、神の計画の中の一部として、起こっていること。そう祈り始めたのです。
さて、このような、教会の具体的な祈りの言葉が、記録されることは、珍しいようです。
でも、わたしは思うのです。きっと、最初の教会は、こういう迫害のような経験を、なんどもなんどもしてきたはずであるし、そのたびに、彼らは、こういう祈りを祈り続けてきたんじゃないかと。
そのなんども祈られてきた祈りを、その代表として、ルカはここに記しているんじゃないかと、そう想像するわけです。
そして大切なポイントは、29節において、当時の教会が、このように祈っていることです。
「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆にみ言葉を語ることが出来るようにしてください」と。
投獄までされたわけですから、どうかペトロやヨハネが、もう投獄されませんように、とか、迫害されませんようにとか、無事でありますようにと、祈るものなんじゃないでしょうか。
しかし、この最初の教会の祈りをよく読んでみると、イエスの名をかたれば、迫害は起こるのだ。神の御心、神の計画の一部として定められているのだと、教会は、そう信じていたことが、分かるわけです。
主イエスについて語れば、当時のユダヤの社会から、反感を買うことは分かっている。
それは、イエスさまご自身がまさに、語れば語るほど、指導者たちから反感を買ったのと同じように、イエス様のことを語る弟子たちの上にも、同じことが起こるのは、むしろ当然。
だから、迫害がありませんように、と彼らは祈るのではなくて、イエス様のことを語れば、迫害されたり、投獄されるとしても、
なお、語り続けることができるように、大胆に、み言葉を語る力を、
神に願い求めたのです。なんということでしょう。
おそらく、このような祈りを、なんどもなんどもしなければならない状況が、教会に起こってきたでしょう。
教会の中に向かって、福音を語るというのなら、こういう祈りは必要ないはずです。
そうではなく、教会の外に向かって、主イエスを認めない社会に向かって、主イエスの名によって語ったり、主イエスの名によって、行動するからこそ、
社会の中に、なにか新しい出来事が、起こり始めていく。
その主イエスの名によって引き起こされる、新しいことを、
喜ぶことができる人もいれば、喜べない人もいるでしょう。
特に、その社会の秩序の上に立っている、権威者たちにとっては、新しい動きは、自分たちの立場を脅かす動きであると、恐れ、嫌うことは、世の常です。
反対に、社会の中で抑圧されていた人。貧しい人、差別されていた人たちにとっては、神が始めた新しい出来事のなかに、救いと、解放の希望を、見出すことができたでしょう。
そんななか、主イエスの名が語られることで始まった、新しい希望。救いを信じる仲間たちは、当時、どんどん増えていったのです。今日の箇所では、男だけで5000人と記されています。
蒔かない種は実りません。
主イエスの名が語られなければ、主イエスのみ言葉が、語られなければ、神の新しい働き、救いは実らないでしょう。
しかしあ、なんどの拒絶され、迫害までされて、なお語りつづけることは、決してやさしいことではないのです。
ペトロとヨハネも、教会の仲間たちの祈りを必要としていたということでしょう。
「わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください」(エフェソ6:19-)と、願っています。
パウロは、異邦人に語った使徒でしたが、それでも、イエスの復活を語るとき、ギリシャの人々から笑われ、馬鹿にされたことは、なんどもあったことでしょう。
パウロも仲間たちに、祈ってほしいと求めたのでした。
教会は、祈りで支えあう共同体。祈りの共同体なのです。
わたしは、10年前、山形の港町、酒田で家族4人の家の教会で、礼拝をしていたのですが、
その場所は、医者とか先生は、必要とされていても、牧師など、いてもいなくても困らない。別に必要とされていませんでした。
私たちが住んでいた場所の周りには、大きなお屋敷が連なっていました。農家の地主さんたちが多かったのです。土地にもお金にも困っていなさそうな人たちでした。
町には神社があり、たくさんの寺があり、別にそこに新たに、キリスト教の教会など、必要とされていない。
別になにも困っていません。間に合っていますという雰囲気で、安定した日々を生きている人々に向かって、
イエスの名を語るということ。イエスがキリストであるということを語ることに、本当に意味があるのだろうか。
目の前の、厚い厚い壁に向かって、卵を投げつけているだけのような、そんな日々と格闘し、
しかし、ほかに何もできなかった私は、ただチラシを作っては冬の嵐のなかを、蒔くことしかできなかったとき、つくづく思ったことは、
主イエスの名を伝えるということは、実は、ほかのだれでもない、自分との戦いなのだということだったのです。
人から拒絶され、必要を認められず、承認もしてもらえないなかで、自分のしていることの意味とか、自分自身の存在の価値さえ疑っていく。
そういう自分自身の内面との戦いなのだということを、深く体験させられ、
祈りの中で、神の愛を確認し、耐え忍んでいくという、そういう、信仰の戦い、祈りの戦いを、私たちはそれぞれに、体験しているのではないでしょうか。
もう祈るしかない。祈るしかできないと、自分の限界、無力さのなかで、神と向き合わされる時、
「祈り」と、真正面から、向き合うときが、あるのではないでしょうか。
わたしは、酒田に行って数か月でうつ状態になってしまって、苦しい時期を数か月経験したある日、仙台から先輩の牧師さんが、心配して訪ねてくださって、話を聞いて祈ってくださったそのことがきっかけで、不思議に心の闇が取り去られ、癒され、また、立ち上がることができた経験を、自分の宝として、持っているのです。
わたしたちは、だれしも、孤立無援で戦っているのではないのです。だれかが、覚えて祈っていてくれるのです。
それは、その人が自分の弱さを隠さないで、祈ってほしいと願うなら、なおのこと、多くの人の祈りがあつまるのです。
先週の礼拝のなかで、郡山コスモス通り教会の金子先生が、がんの治療の為に、宮崎に帰ったことをお伝えして、その場でみんなで祈りましたね。
金子先生は、ご自分の病気のこと、弱さを隠さないのです。そのままをさらして、どうか祈ってくださいと、言ってくださいます。祈りを信じているのです。祈られなければ、一歩も前に進めない、自分の弱さがわかっているのです。そして、その弱い自分を通して、でも、主イエスは働いて下さることに、委ねているのです。
だから、わたしたちも、今日のみ言葉の30節にある、祈りの言葉をもって、祈りたい。
「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」と祈りたい。
もう一度、郡山に帰って、教会の人たちと一緒に、イエス様のことを伝えたいと願う金子先生のためにも、
「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」と、祈りましょう。
わたしたちには、祈りという宝が、希望が、力が、愛があるのです。
この「祈り」という宝を、わたしたちから奪うことのできる人は、だれもいない。
奪えるのは、ただ一人。自分自身だけなのです。
ただ、自分だけが、祈ることをあきらめ、祈ることをやめてしまうのだから。
祈りましょう。愛する人の為に、自分自身の為に、
この世界に、神のみ言葉が満ち溢れ、神の国が来ますようにと。
祈りましょう。