預言者?あらわる

 今日の礼拝はTRさんと私たち家族。先週はTRさんは奥様と仙台教会の礼拝に出席なさったそうです。本当は別の用事で仙台に行っておられたのですが、仙台の道を車で走っておられたとき、なにげなく奥さんが「この道を反対に行ったら、仙台教会よ」と言われた、その一言がきっかけで、「それじゃあ行ってみようか」と教会にいって、そのまま礼拝に出られたのだとか。しかもその日は講師を招いての特別集会だったそうです。お話を伺いながら、そりゃぁ、不思議なタイミングだなぁと思いました。


 今日の礼拝が終わってから、TRさんが私に「教会堂を建てるなら、木造ですか、石ですか?」と聞かれます。なんでも、将来廃校になる予定の小学校があって、その校舎の木材が大変よいものを使っているのだそうです。払い下げて手に入るようだったら、教会の建築に使うという手もありますね、ということを言われます。


 ちょうど、今日の週報に「教会の幻を語ろう」という一文を書いていたところに、TRさんがいきなりそのようなことを言われるものですから、これもまた不思議なタイミングだなぁと思った次第。


 TRさんはまた「この教会はそのうち人がたくさん来ますよ。」とか、「まだ、バプテスマを受けていない私がいうのもなんですが、沢山の人が、バプテスマを受けて教会員になりますよ」ということを、語り始められるではないですか。わたしは「うれしいことを言ってくださるなぁ、TRさん、今日はなんだか、預言者みたい」と思いながら、「それじゃあ、TRさん、バプテスマの一号にならなくっちゃね。」と切り返すと「神様からの示しがあったら、夜中にでも教会に駆け込みますよ」とのこと。


その時がくるのを祈ってまっていますからね。


 それにしても、TRさんが、まるで預言者のようなことを言われるので、「どうしてそう思うのですか」と聞くと「50年生きてきた勘ですよ」とのこと。


 なんだか、神様がTRさんを通して祝福を約束してくださっているようで、とてもうれしい気持ちになりました。将来に幻、ビジョン、そして希望を持つことは、本当に今を生きる元気の元になりますね。


 主に感謝いたします。


「『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。
わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。(新約聖書 使徒言行録2章17節〜)