朝の祈りの中で、思ったこと。

 地道な活動が基本だけれども、目の前の現実やプロセスを越えた、ビジョンを夢見ることも、やはり大切なんでしょうね。


 あと1〜2年で15人くらい、5年で30人くらいの礼拝ができたらいいな。そうなったら礼拝の場所は毎回どこかを借りましょう。それにしても、教会が自立するためには、何人くらいなのだろう。東北の教会を見てみると、本当に教会を愛している人が30人、というところかな。自立といっても、自分の力で立つことではなくて、本当に神様に信頼して神様によって立てられる教会になるということですが。


 一人の人の持っている可能性は限りないものがあります。一人の人が変えられていくとき、いったいどれくらいの変化がその周辺に引き起こされるのか、予想もつきません。主によって変えられた人が30人もいたら、すごいこと。そんな教会になったらいいな。


 「命」があるものは、必ず成長します。変化します。変わらないもの、変わることを拒むものは、死んでいるともいえます。


 酒田が変わる、庄内が変わるとしたら、そこにすんでいる一人ひとりが変わるということです。そして、教会にはそのような変化が引き起こされる「命のことば」がある。だから閉塞感漂う目の前の現実をこえ、常に希望はあるのだと、わたしは、まともに信じて祈っている牧師なんです。



「イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコによる福音書10章27節)