死を考えながら生きる

 今日テレビで、今年5月に、乳ガンのため24歳でなくなった女性のドキュメントを見ました。生きること、死ぬことについて深く考えさせられました。

 たとえ余命一ヶ月であろうと、30年であろうと、だれもが死に向かう命を生きていることは一緒です。死について考えなくていい理由はありません。


 カトリックのシスターの渡辺和子さんは、「死を考えながら生きる」という短いエッセーに、こう書いています。

「いのちあるものは必ず死ぬ」と言われるように、私たちは、生まれた瞬間からすでに、自分の死に向かっての旅をはじめている、といつても過言ではありません。
 にもかかわらず、死を恐ろしいもの、忌むべきものとして、できるだけ考えまいとして生きているのが、現実ではないでしょうか。

 たしかに、死は私たちの生きる時間を制限してしまう悲しいものですが、同時に、私たちの人生に意味を与えてくれるものでもあるのです。もし、死がなかったとしたら、私たちは、生きている問に、しておかなけれはならないことが、なくなってしまいます。

 旅行をする時に、荷物を「一個だけ」と制限されて、はじめて、旅の目的に真に必要なものから優先順位をつけて、品物を選ぶのではないでしょうか。死という制限があるからこそ、私たちは、この世で、何を大切にして生きねばならない
かを考えさせられるのです。

 かくて、私たちには絶えず旅の目的を明確にしておくこと、その目的に沿う優先順位を忘れずに生きることが求められています。
 この世における旅の目的は、永遠の生命に至る門に辿りつくことです。死はたしかに、この世での生命の終わりを意味しますが、それは同時に、新しい生命への門出でもあります。辛く、苦しいことの多かった人生を終えて、「ご苦労だっ
たね一とねぎらつてくださる神のみ手に抱(いだ)き取られ、永遠の安らぎに入る瞬間でもあります。
 私たちと同じ人間として生まれ、死んでくださったキリストは、私たちに、何を大切にして生きたらよいかも教えてくださいました。
「まず、神の国と神の義を行う生活を求めなさい。そうすれば、必要なものは皆、加えて与えられる」
死を考えながら生きるとは、ここに示された優先順位を大切に生きる、ということではないでしょうか。