信仰の成長のために

 昔、楽器を吹いて生活していたことがある。
それは、毎日毎日、練習の日々であった。毎日練習し成長し続けなければ、良い演奏者にはなれない。だから、一日練習を休むと、三日分後退すると思って、毎日練習し続けた。
 しかし、自主練習だけではどうしてものび悩む。そこで、先生のレッスンを受ける必要が出てくる。それも、自分では演奏できなくなった過去の人ではなく、今も演奏活動をしている人がいい。なぜなら、口ではなく、実際にその人の音によって指導をうけることができるから。
 どのように演奏したらいいのかイメージ出来なかったり、よくわからないところを、いくら言葉で指導されても、やっぱりわからないのである。しかし、実際先生が「こうやるんだよ」っと演奏してくれたら、一発でわかる。そして、耳にした先生の演奏をまねることで、生徒は成長していく。
 教会をオーケストラにたとえてみよう。オーケストラが素晴らしい音楽を奏でるためには、一人一人の団員の日々の練習が大切なように、一人一人のクリスチャンが、聖書の御言葉に生きていこうとする日々の練習は欠かせない。週に一度、一時間しか練習しない団員によい演奏を期待するのは酷というものだ。教会が人々を引きつける、よい音色(証)、よい演奏(ミニストリー)をするには、日々の生活の中で、御言葉を行ってみる練習を積む必要がある。練習なんだから、いくらでも失敗していいし、そもそも練習は失敗から学ぶためにある。大切なのは、毎日取り組むこと。一日休むと三日後退する。
 そして、自主トレだけでは視野が狭くなってどうしても伸び悩むので、信仰の先輩、それも過去の人ではなく、自分も今まさに信仰の練習を続けて成長している人から、良いところをまねてみるのもいい。パウロもわたしにならってほしいと言ったが、どんなレッスンも、まず、まねることが基本。私の教会には引退された大先輩の牧師がおられるが、その方が細かく人の名前を書いて祈りのノートをつけておられるのを知って、わたしもまねるようになって、祈りの生活が変った。良いと思ったことは、そのままにしないで、まねてみることは大切だと思う。私より若い人でも、霊に燃え、成長している先生に、教えられることが多々ある。自分自身、もっともっと信仰的に成長していきたい。教えを受けつづけたいと、そう願っている。