真言宗の住職と牧師

 先週は数日夏休みをいただいて、家族で佐渡島に行って来ました。母の実家なものですから、一年ぶりに母にあって、孫も抱いてもらって、少しは親孝行になったのかなぁ、と、普段なにもしてあげられないことの申し訳なさを感じつつ、過ごして来ました。母は真言宗の住職の娘として育ちましたから、全くキリスト教とは無縁だったわけですが、まさか息子が牧師になるとは思わなかったでしょう。そういえば、代々うちは僧侶の家系だったわけではなく、お祖父さんが突然出家したと聞きました。宗教家という意味では、隔世遺伝なのかもしれません。でも最近、それだけのことなのかな、という気もしています。真言宗大乗仏教ですけれども、修行と個人的解脱の小乗仏教に対して、大乗は広く人間の救済、成仏を説いています。学者によっては、大乗仏教は釈迦自身の教えではないということも言われているようですが、確かに仏陀が思いもしなかったような、大日如来阿弥陀仏という、「神的存在」の思想、「浄土」の思想、「常住なるもの」の思想、「罪」の思想、「弥勒菩薩」の思想などが大乗の根底にあるわけです。そして、キリスト教について多少の知識がある人は、それらがキリスト教の思想に大変にていることにも気が付かれるでしょう。
 仏教史学の権威エリザベス・A・ゴードン女史は、たとえば弥勒菩薩について、その語源を調べた結果、「(弥勒の原語である)インドのマイトレィア、は中国ではミレフ、日本ではミロクで、これはヘブル語のメシア、ギリシャ語のキリストである」と結論しています。(「日本・ユダヤ封印の古代史」久保有政・ケンジョセフ より)大乗仏教に古代基督教の影響を見る人もおり、真言密教などでは、その成立に景教(古代東方基督教)が深く関わっていたことを、お坊さん自身も認めているといわれます。
 そう思うと、突然出家して真言宗の住職になったお祖父さんと、なぜか突然牧師になった私の、不思議な神による導きを感じなくもありません。
 もうずいぶん前にお祖父さんは亡くなってしまいましたが、生きていたら、そのあたりのことをぜひ話し合ってみたかったと思います。