榊原寛先生の証

5月号のPBAだよりに載っていた榊原先生の証です。

<以下転載>
「私の次男は、二十八年前の五月十九日、交通事故で亡くなりました。当時六歳、小学校に入学して間もなくのことでした。私たち家族は、突然襲って来た悲しみに翻弄されました。私は、伝道者も辞めたい、牧師も辞め、教会も戸を締めて休業したいというような衝動にかられました。四才上の長男は、毎晩弟の名を呼んでいました。妻は、「私は生きていても一生笑うことはないかも知れない」と、お腹を痛めた子の突然の死に、いたたまれない、様子でした。そのようなとき、FEBCの小林八郎氏から「若者向けの番組をやってほしい」との電話があリました。私は事情を話してお断りしました。その後も私たち家族は、なかなか立ち直れずにいました。ところがある日、子どもの聖書を見ていたとき、傍線が引かれている個所に目が留まりました。ヨ八ネ21章4節、「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた」とのみことばでした。私はそのとき、息子が語りかけているような気がしたのです。「お父さんはいつまで暗い夜にいるの。イエス様は、お父さんのために夜明けを備えてくれているんだよ」。私はそのとき、改めて復活の主にお会いしたのです。主は十字架を前にしてのゲツセマネの園で祈られたとき、弟子たちに語られました。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」。わたしはこの主のおことばにふれたいやとき、癒されました。「主よ、死んだ息子の分まで、お役に立ちたいのです」と祈ることができたのです』息子は、よく友達を教会学校につれて来ました。「ぼくも、おとうさんのようにぼくしになるんだ」と幼稚園の二年間も、小学校に入っても、先生方に言い続けたそうです。そのような息子のことを思い起こしながら、私は小林八郎氏に電話を入れました。「まだ出演者が決まらなかったら、やらせてください」。それ以来、二十七年、マイクに向かってイエス様を伝え続けて来ました。新緑の五月は、私たち家族にとって大変悲しい月ですが、同時に息子の分まで伝道に励ませていただこうと思う月でもあります』

<転載終わり>

今はわからなくても、
悲しみは悲しみで終わらず、苦しみは苦しみで終わらない。
主が私たちのために十字架に死に、そして復活してくださったゆえに。