「神の課題解決の仕方」(2022年6月19日週報巻頭言)

 毎年6月23日の「沖縄慰霊の日」にあわせて、「沖縄に負わせてしまっている、わたしたちの課題」を覚えて祈る時として、バプテスト女性連合が「命どぅ宝の日」を推進してくださっています。
 「沖縄に負わせてしまっている、わたしたちの課題」とは、まず日本国土面積の0.6%に満たない沖縄県内に、全国の約70.3%の在日米軍専用施設・区域が集中している状況を指しています。
 また「日米地位協定」により、米軍による事故や事件に、日本の法律は適用されないという、事実上の「治外法権」により、被害を受けた住民の方々が泣き寝入りをさせられています。
これも「沖縄の課題」である前に、「在日米軍基地」と「日米地位協定」について、主権者であるわたしたちはどうしたいのかを考え、選挙という民主的な手続きを行使して、解決していくべき「わたしたちの課題」のはずです。
 さて主イエスが活動された当時のユダヤは、世界の覇者ローマに占領支配された属国状態でした。ローマに反抗しない限りにおいて、属国には自治が認められていました。ゆえにユダヤの指導者層は、実質ローマの傀儡でもありました。
ローマへの反抗を企てる者が、「我こそがメシアである」と民衆を扇動し、反乱を起こして捕らえられると、見せしめのために十字架刑に処されました。その状況の中で、主イエスもまた、弟子たちと民衆から、そのような「メシア」として、力による課題解決を期待されました。
 ところが権力者たちが武器を持ってイエスを捕らえに来たとき、戦おうとする弟子たちに主は「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と制止し、ご自分だけが捕らえられて「十字架」に架けられ、弟子は逃げ去り、課題解決は実現しなかったのです。
 しかしそれから約300年の時が経ち、剣によって世界を支配していたローマは、剣を取らずに十字架に架かられたイエスを、主と崇める国となります。そして「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と主が言われた通り、ローマ帝国は分裂、崩壊したのです。
「キリストの十字架」。これこそ、神の課題解決の仕方でした。
「・・このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」(ガラテヤ6章14節)