親の夢 子どもの夢

 わたしも妻も、それほど子どもの教育に熱心な方だとは思わないのだが、子どもがやりたいということはできるだけさせてあげられるように、妻も仕事をして経済的に支えてくれたこともあり、上の2人の子どもは国立大学に入学させてあげることができた。

もう1人の子も、なんでもいいので自分がやりたいことを早く見つけて、その道に進んでいってほしいと思う。親はそのサポートをするのが楽しみなのだから。

 

 わたしは親が貧しかったこともあり、中学生の頃にすでに「大学に行かせる金はない」と言われ、高校を出たらすぐに働くことができるようにと工業高校の電気科に進んだ。

 

でも実は、やりたいことを親に諦めさせられた最初は、小学校1年の頃。

ピアノが習いたくて、友達が紹介してくれたピアノ教室に行きたいと母に言ったが「そんな金にならないことを習わせる金はない」ということを言われて、諦めたのが最初だったと思う。

今思えば、親も子供3人を食べさせること、生きていくことで精一杯だったのだ。

それは3人の子を持つ親になった今、わたしも痛いほどその気持ちはわかる。

 

でも、そうやって小さい頃の音楽の夢も大学進学も諦めさせられたのに、わたしはどうしてもやりたく無い仕事だけはしたくないと、自衛隊の音楽隊に入ることになるのだから、人生というものは面白いものだ。

 

わたしが入隊した頃は、まだ音楽大学を出ていなくても、楽器の技術が高くて、かつ運が良ければ、音楽隊に入ることができた。

今は、最低でも音楽大学を出ていなければ、オーディションさえ受けられないレベルになっているらしいが。

 

音楽隊に入ってからも、挫折と喜びの物語が色々あるのだが、それを書き出したら長くなるので、やめていこう。

 

20代までを音楽の道で過ごし、30代から今に至るまでキリスト教の伝道者として生き始めて今に至っている。

 

わたしの音楽への情熱は過去に置いてきてしまったが、音楽好きに生まれた長男がやりたいことは、諦めさせないようにと、それだけは心掛けてきたように思う

学校に馴染めず、中学2年を不登校で過ごし、中三から中高一貫校に、温情で入れてもらった息子が、

現役で東京芸大に入れていただけることになったことは、ただただ神様の哀れみと恵の出来事として、ここに書き記しておこうと思う。