使徒言行録18:1-11
今朝は、少し寒さが緩んだでしょうか。金曜日に降った雪も、だいぶ溶けて少なくなりました。
あらためて考えてみると、「雪かき」という労働は、報われない働きですね。
重い雪を運び続けても、結局みんな溶けてなくなってしまうわけですから。
そういう意味で、雪国のかたは、本当にご苦労だと思います。
わたしも山形にいたとき、冬に東京に出張でやってくると、思ったものです。
「東京はいいな。空は青いし、雪かきのような、無駄な苦労を、しなくていいのだから」と、内心思ったものです。
もし、雪国の人と、冬に東京で会うようなことがありましたら、おそらくその方は内心で、「いいなぁ、東京は」と思っていますから、ぜひ、「雪国は雪かきが大変ですね」と、ねぎらってあげてくださいね。
でも、今、わたしは思うのです。
確かに、目の前のことだけを見れば、無益に思えた働きも、神の目には、決してそんなことはないのだと。
あんなに苦労して運んだ雪が、春には溶けて、結局、なにも残らなかったように思っていた、その雪が、
実は、溶けて大地を潤し、やがて、豊かに豊かに、地面から新しい命を、農作物を実らせることになるのです。
山形にいたとき、地元に人から、「雪が沢山降った年ほど、豊作になる。雪が降らない年はだめなんだ」と教えてもらいました。
天地を造られた神さまは、決して無駄なことはなさいません。
それは「伝道」「福音を伝える」という働きも、まさにそうです。
「十字架に死んだイエスは、復活し、あなたを救うメシア、キリストとなったのです。このイエスを信じ、罪の束縛から救われましょう。」
この福音を、あらゆる形で伝えつづけてきたのに、なにも変わらない、そんなむなしさを感じることもあるでしょう。
むしろ、福音を語ったことで、偏見を持たれたり、距離を置かれたり、そんなこともあるかもしれません。
最初の教会の伝道の様子が記されている、使徒言行録を、わたしたちは読み進んでいますが、
最初のクリスチャンたちは、主イエスの復活を語ることで、ユダヤ人から罵られ、迫害さえされたのです。
目の前のことだけをみるならば、伝道という働きほど、報われない働きはありません。
むしろ、こんなことになるなら、やめておけばよかったという、辛いことが多い働きです。
しかし、目の前のことだけを見るなら、そう見える「伝道」という働きを、
しかし、あきらめることなく、やり続けた教会は、
やがて、エルサレムの小さな群れから、いつのまにか世界中へと広がり、
今、2000年の時を越えて、この花小金井教会を誕生させたのです。
そして、わたしたちも次の世代に向けて、福音を伝え続けます。
雪解け水が、やがて沢山の豊かな命を生み出していくように、
神の命の水、聖霊は、今もわたしたちの中で、豊かに働いておられます。
さて、一番最初の教会で、聖霊に動かされた人々の物語。
使徒言行録を、今日も、読み進めていきましょう。
先週の礼拝では、使徒パウロが、学問と文化の町、アテネにおいて、福音を語った出来事を読みました。
人間が造った、偶像の神に溢れるアテネの町で、
神とは、人間が造ったものではなく、人間を、この天地を造った方であり、
その神は、今や、死から復活したイエスキリストによって、
わたしたちと、天地を造られた神が繋がる道を、示してくださったのです。
神を探し求めるものは、神を見いだすことができるのですと、パウロはインテリの集まるアテネで語ったわけです。
ところが、「死者の復活」という話を聞いて、ある人はあざ笑い、「それについては、いずれまた聞かせてもらうよ」と立ち去ってしまったのでした。
神について、つぎつぎに、新しい教えを求めるだけのアテネの人々。
知識を、ただ消費するだけのアテネの人々にしてみれば、
パウロの話も、途中までは娯楽のように聞いていられたのかもしれません。
パウロも、アテネの人々が聞いてくれるように、上手に話を持っていったのですが、
しかし、どうしても、パウロは言わなければならないことに、ぶち当たる。
これを言えば、きっと、耳を塞がれるかも知れないこと。
つまり、死から復活した主イエスについて、語った。
天地を造られた神は、この主イエスにおいて、世界を正しく裁く日を決めたのだから、
悔い改めなさいと、主イエスを信じなさいと、チャレンジしたのです。
そのとたん、聞いていたアテネの人々の多くは、ばからしいと、聞いていられなくなったのです。
「その話は、いずまた聞かせてもらうよ」とあざ笑い、立ち去ってしまったのです。
「福音」は、良い知らせのはずなのに、なぜ人々は、あざ笑うのでしょう?
「福音」に問題があるのでしょうか?
そんなわけがありません。
むしろ、福音を聞いた人の心のなかに、偏見や、思い込みや、プライドという、フィルターがあって、心に入っていかないのです。
ですから、パウロはアテネの人々に向かって、あなた方が、ちゃんとこのメッセージに向き合って、
神を探すなら、見いだすことができるのだと言いました。
あざ笑い、馬鹿にして、立ち去ったりするのではなく、
ちゃんと福音のメッセージに向き合い、「はたして本当にそうなのか」と、探し求めてほしい。聖書を探求してほしい。
あらゆる証言を、証を探してほしい。
そうやって求めるなら、主イエスを、救い主として、見いだせる。
いや神が、ちゃんと、見出せるようにしてくださる。
「ベンハー」という有名な映画がありますね。
あの映画の原作を書いた、ルーウォレスという人は、無神論者で、キリスト教が大っ嫌いだったのです。
それでキリスト教撲滅論を書こうとして、世界中の文献を調べ、イエスについて調べて、求めたのです。その結果、彼はキリストを信じる人となり、「キリスト教撲滅論」ではなく、主イエスを証する「キリスト物語」を書きました。それが映画「ベンハー」の原作となったわけです。
使徒パウロもそうでした。彼は、かつてユダヤ人として、神を熱心に求めるがゆえに、
クリスチャンを憎み、迫害していたのです。
しかし、そのパウロの心の目を、神様は開いてくださり、
復活の主イエスがわかるようにしてくださった。
まさに目から鱗が落ちるように、心の目、心のフィルターが開いて、
復活のイエスこそが、求めていた救い主、キリストであることがわかり、
人生がすっかり変わってしまうのです。
自分が迫害していた教えを、福音を、
パウロは、馬鹿にされても、罵られても、語らないではいられない人になったのです。
パウロは、知的な町アテネで、福音を語り、案の定、人々から馬鹿にされました。
しかし数人、パウロの語る「福音」を信じた人がいたのです。それがせめてもの救いでした。
そしてアテネから80キロほど離れた、コリントの町についたパウロ。
コリントの町にやってきたときの、パウロの心の状態を、
彼は、後に、コリントの信徒の手紙のなかで、こう書き記しています。
「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と(1コリ2:3)
パウロは、コリントに着いた時、衰弱し、恐れと不安の中にいたのです。
迫害にめげず、世界を駆け巡ったパウロ。彼は、鉄のように強い心だったはずと、勝手に思い込んでいますが、彼も人間なのです。
パウロはアテネからコリントにやってきた時、恐れと不安に取りつかれ、衰弱していました。
アテネであざ笑われ、パウロは、深く傷ついたのかもしれません。
そんな彼が、アテネの人々にあざ笑われた経験は、彼の心を傷つけたことでしょう。
パウロは行く所、行く所で、福音を語り、
ユダヤ人には、口汚く罵られ、ギリシャ人には、愚かしいと馬鹿にされた。
パウロも「鉄の心」ではなく、恐れ、不安に取りつかれて、衰弱していたのです。
しかし、コリントに到着した衰弱したパウロのもとに、神はある夫婦を遣わされました。
「アキラ」というユダヤ人とその妻、「プリスキラ」です。
この夫婦はローマに住んでいたのですが、クラウディス帝が、ユダヤ人をローマから追い出すことにしたので、
彼らはローマから追われるようにして、このコリントに来ていたのです。
おそらく紀元49年ころの出来事です。
この二人はすでにクリスチャンだったようです。
一人で衰弱しつつ、コリントにやってきたパウロは、このクリスチャンの夫婦と出会い、彼らの家に住み込みつつ、平日は、テント作りをしました。
そして安息日の礼拝の日だけ、会堂にいき、ユダヤ人やギリシャ人に、福音を語る生活をしばらくしていたのです。
テント作り、天幕作りと、訳されますけれども、具体的にこれがどういう仕事だったのかは、諸説あります。説明がながくなるので、はしょりますが、
テントとか外套、敷物、カーテンなど、様々なことがいわれています。
いずれにしろ、大切なポイントは、パウロは手に職を持っていたということです。彼はエリートでありつつ、同時に手に職をもちながら、時々に、状況に応じて、自分が造ったものを売って、生活したのです。
現代でも、伝道者のなかには、ご自分が書いた本を売って、伝道している人もいるようですね。
伝道者が物を売ったりするのは、あまりなじまないんじゃないかと、思われることもありますが、むしろそれを一番最初にやったのが、パウロだったわけです。
パウロはその時々の状況、必要に応じて、身につけたスキルで、ものを造り、それを売って生活した、伝道者の第一人者です。
私の仲間の牧師に、バイオリンの演奏でも、収入を得ながら、教会の牧師をしている人がいます。
わたしは牧師以外に、専門はありませんけど、
それでも、なにかを造って、売れるなら、伝道の働きのために、やってみたいと、思っているんですよ。パウロみたいに。
去年の神学校週間のときには、メッセージの小冊子を造って、神学校献金の箱と一緒に、ロビーにおきました。何人かの方が、献金という形で、買ってくださいましたよね。
女性会がバザーに手作りの物を造って、それを売ることで、伝道の働きのために献金していることも、同じ理屈だと思います。
そして、こういう働きは、実はとても楽しいのです。
なぜなら、頑張れば、頑張っただけ、報われるからです。
沢山造って、沢山売ったら、伝道の働きのために、沢山献金できるでしょう。
そういう意味で、やりがいもあるわけです。
しかし、「福音」を直接語るという働きは、いつもいつも、人々から受け入れられるわけではありません。
むしろ無視されたり、馬鹿にされ、「また聞くことにするよ」と、あざ笑われることも多い。
伝道旅行の日々のなかで、人々の心ない言葉に、傷つき、疲れ、衰弱していたパウロ。
しかし、このコリントの町で、協力者のプリスキラとアキラの夫婦と出会い、
一緒に住み、一緒に仕事をしながら、傷つき疲れた心が、癒やされ、励まされ、力づけられたのではないか。
また「福音」を語る力を、得たのではないかと、想像します。
人間、だれしも、自分が、無視され、馬鹿にされ、
受け入れてもらえない、孤独の日々に、長く耐えつづけることは難しい。
いつか心が病んでしまうことでしょう。
わたしが山形の酒田で、開拓伝道をした日々のなかで、
何が一番辛かったのかと言えば、お金がないことでも、冬の寒さでもないのです。
そうではなく、キリスト教の牧師が、この場所になにしにきたのかというまなざし、受け入れられない、居場所のなさ、孤独に耐えることが、もっとも辛いことなのです。
アテネであざ笑われ、消耗した心でコリントにやってきた、パウロ。
そんな彼が、しばらくの間、プリスキラとアキラの夫婦と一緒に、テント造りをする。
それはただ、生活のための仕事ではなく、消耗した心を癒やすための、必要な時間だったのかもしれません。
そして再び、パウロは、み言葉を語ることに、専念する道へと、歩み出します。
5節にはこう書いてあります。
「シラスとテモテがマケドニア州からやってくると、パウロはみ言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証した。」
おそらく、この「シラス」と「テモテ」は、パウロと一緒に伝道旅行をしながら、その途中の教会に立ち寄り、献金を携えて、パウロのもとに戻って来たようです。
パウロは、その献金に支えられて、テント作りをやめて、み言葉を語ることに専念します。
それは同時に、あの激しい戦いへ、立ち戻っていくことでもあります。
6節から読みます。
「しかし、彼らが反抗し、口汚く罵ったので、パウロは服の塵を払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へいく』」と
「メシアはイエスである」と力強く証するパウロに、ユダヤ人は反抗し、口汚く罵りました。
人々の口汚い罵りの言葉は、パウロの心を深く傷つけ、思わず反射的に、パウロは叫びます。
『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へいく』のだと。
もうユダヤ人のあなたたちのことなど、知らない。わたしは異邦人に福音を伝えるのだ。
まるで、見捨てるような言葉を、吐き捨てたパウロ。
パウロも人間なのです。
このあとパウロは、ユストというクリスチャンの家に行き、主を信じた、会堂長のクリスポとその家族と交わりを持っています
そして、コリントの多くの人々が福音を信じ、バプテスマを受けるという、出来事に励まされています。
これを書いたルカは、アキラとプリスキラの夫婦や、主を信じる人々との交わりが、パウロを支えたことを、大切なこととして、書いています。
パウロは決して一人の力で、伝道したのではないのです。
主を信じる仲間との出会いと交わりがあったからこそ、パウロは福音を語り続けることが出来たのです。
パウロはある夜、幻の中で主の語りかけを聞きます。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。
だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
この町には、わたしの民が大勢いるからだ」と。
この主の幻、語りかけ。
「わたしがあなたと共にいる」という主の約束。
この約束をパウロは、アキラとプリスキラとの出会いを通してすでに体験し、また、福音を信じた、コリントのクリスチャンたちとの出会いと交わりのなかで、すでにパウロは体験しているのです。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。
だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
この町には、わたしの民が大勢いる」
パウロは決して一人で頑張っているのではないのです。
わたしたちも、決して一人で頑張っているのではないのです。
こうして日曜日に、教会という仲間とともに主を見上げ、
教会という交わりの中で、傷つき、恐れて、衰弱していた心が、癒やされ、励まされ、
もう「愛するものか」「語るものか」と、自分を守っていた心に、新しい力と勇気があたえられて、
ここからまた再び、新しい一週間へ、愛の戦いへと、立ち上がっていくのです。