「恐れず語り続けよ」(2018年2月4日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)


使徒言行録18:1-11

今朝は、少し寒さが緩んだでしょうか。金曜日に降った雪も、だいぶ溶けて少なくなりました。

あらためて考えてみると、「雪かき」という労働は、報われない働きですね。

重い雪を運び続けても、結局みんな溶けてなくなってしまうわけですから。

そういう意味で、雪国のかたは、本当にご苦労だと思います。

わたしも山形にいたとき、冬に東京に出張でやってくると、思ったものです。

「東京はいいな。空は青いし、雪かきのような、無駄な苦労を、しなくていいのだから」と、内心思ったものです。

もし、雪国の人と、冬に東京で会うようなことがありましたら、おそらくその方は内心で、「いいなぁ、東京は」と思っていますから、ぜひ、「雪国は雪かきが大変ですね」と、ねぎらってあげてくださいね。

でも、今、わたしは思うのです。

確かに、目の前のことだけを見れば、無益に思えた働きも、神の目には、決してそんなことはないのだと。

あんなに苦労して運んだ雪が、春には溶けて、結局、なにも残らなかったように思っていた、その雪が、

実は、溶けて大地を潤し、やがて、豊かに豊かに、地面から新しい命を、農作物を実らせることになるのです。

山形にいたとき、地元に人から、「雪が沢山降った年ほど、豊作になる。雪が降らない年はだめなんだ」と教えてもらいました。

天地を造られた神さまは、決して無駄なことはなさいません。

それは「伝道」「福音を伝える」という働きも、まさにそうです。

「十字架に死んだイエスは、復活し、あなたを救うメシア、キリストとなったのです。このイエスを信じ、罪の束縛から救われましょう。」


この福音を、あらゆる形で伝えつづけてきたのに、なにも変わらない、そんなむなしさを感じることもあるでしょう。

むしろ、福音を語ったことで、偏見を持たれたり、距離を置かれたり、そんなこともあるかもしれません。

最初の教会の伝道の様子が記されている、使徒言行録を、わたしたちは読み進んでいますが、

最初のクリスチャンたちは、主イエスの復活を語ることで、ユダヤ人から罵られ、迫害さえされたのです。

目の前のことだけをみるならば、伝道という働きほど、報われない働きはありません。

むしろ、こんなことになるなら、やめておけばよかったという、辛いことが多い働きです。

しかし、目の前のことだけを見るなら、そう見える「伝道」という働きを、

しかし、あきらめることなく、やり続けた教会は、

やがて、エルサレムの小さな群れから、いつのまにか世界中へと広がり、

今、2000年の時を越えて、この花小金井教会を誕生させたのです。

そして、わたしたちも次の世代に向けて、福音を伝え続けます。

雪解け水が、やがて沢山の豊かな命を生み出していくように、

神の命の水、聖霊は、今もわたしたちの中で、豊かに働いておられます。

さて、一番最初の教会で、聖霊に動かされた人々の物語。

使徒言行録を、今日も、読み進めていきましょう。

先週の礼拝では、使徒パウロが、学問と文化の町、アテネにおいて、福音を語った出来事を読みました。

人間が造った、偶像の神に溢れるアテネの町で、

神とは、人間が造ったものではなく、人間を、この天地を造った方であり、

その神は、今や、死から復活したイエスキリストによって、

わたしたちと、天地を造られた神が繋がる道を、示してくださったのです。

神を探し求めるものは、神を見いだすことができるのですと、パウロはインテリの集まるアテネで語ったわけです。

ところが、「死者の復活」という話を聞いて、ある人はあざ笑い、「それについては、いずれまた聞かせてもらうよ」と立ち去ってしまったのでした。

神について、つぎつぎに、新しい教えを求めるだけのアテネの人々。

知識を、ただ消費するだけのアテネの人々にしてみれば、

パウロの話も、途中までは娯楽のように聞いていられたのかもしれません。

パウロも、アテネの人々が聞いてくれるように、上手に話を持っていったのですが、

しかし、どうしても、パウロは言わなければならないことに、ぶち当たる。
これを言えば、きっと、耳を塞がれるかも知れないこと。

つまり、死から復活した主イエスについて、語った。

天地を造られた神は、この主イエスにおいて、世界を正しく裁く日を決めたのだから、

悔い改めなさいと、主イエスを信じなさいと、チャレンジしたのです。

そのとたん、聞いていたアテネの人々の多くは、ばからしいと、聞いていられなくなったのです。

「その話は、いずまた聞かせてもらうよ」とあざ笑い、立ち去ってしまったのです。


「福音」は、良い知らせのはずなのに、なぜ人々は、あざ笑うのでしょう?

「福音」に問題があるのでしょうか?

そんなわけがありません。

むしろ、福音を聞いた人の心のなかに、偏見や、思い込みや、プライドという、フィルターがあって、心に入っていかないのです。


ですから、パウロアテネの人々に向かって、あなた方が、ちゃんとこのメッセージに向き合って、

神を探すなら、見いだすことができるのだと言いました。

あざ笑い、馬鹿にして、立ち去ったりするのではなく、

ちゃんと福音のメッセージに向き合い、「はたして本当にそうなのか」と、探し求めてほしい。聖書を探求してほしい。

あらゆる証言を、証を探してほしい。

そうやって求めるなら、主イエスを、救い主として、見いだせる。

いや神が、ちゃんと、見出せるようにしてくださる。

「ベンハー」という有名な映画がありますね。

あの映画の原作を書いた、ルーウォレスという人は、無神論者で、キリスト教が大っ嫌いだったのです。

それでキリスト教撲滅論を書こうとして、世界中の文献を調べ、イエスについて調べて、求めたのです。その結果、彼はキリストを信じる人となり、「キリスト教撲滅論」ではなく、主イエスを証する「キリスト物語」を書きました。それが映画「ベンハー」の原作となったわけです。

使徒パウロもそうでした。彼は、かつてユダヤ人として、神を熱心に求めるがゆえに、

クリスチャンを憎み、迫害していたのです。

しかし、そのパウロの心の目を、神様は開いてくださり、

復活の主イエスがわかるようにしてくださった。

まさに目から鱗が落ちるように、心の目、心のフィルターが開いて、

復活のイエスこそが、求めていた救い主、キリストであることがわかり、

人生がすっかり変わってしまうのです。

自分が迫害していた教えを、福音を、

パウロは、馬鹿にされても、罵られても、語らないではいられない人になったのです。

パウロは、知的な町アテネで、福音を語り、案の定、人々から馬鹿にされました。

しかし数人、パウロの語る「福音」を信じた人がいたのです。それがせめてもの救いでした。
そしてアテネから80キロほど離れた、コリントの町についたパウロ

コリントの町にやってきたときの、パウロの心の状態を、

彼は、後に、コリントの信徒の手紙のなかで、こう書き記しています。

「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と(1コリ2:3)

パウロは、コリントに着いた時、衰弱し、恐れと不安の中にいたのです。

迫害にめげず、世界を駆け巡ったパウロ。彼は、鉄のように強い心だったはずと、勝手に思い込んでいますが、彼も人間なのです。

パウロアテネからコリントにやってきた時、恐れと不安に取りつかれ、衰弱していました。
アテネであざ笑われ、パウロは、深く傷ついたのかもしれません。

パウロアテネの人々に負けない、知的エリートだったのです。

そんな彼が、アテネの人々にあざ笑われた経験は、彼の心を傷つけたことでしょう。

パウロは行く所、行く所で、福音を語り、

ユダヤ人には、口汚く罵られ、ギリシャ人には、愚かしいと馬鹿にされた。

パウロも「鉄の心」ではなく、恐れ、不安に取りつかれて、衰弱していたのです。

しかし、コリントに到着した衰弱したパウロのもとに、神はある夫婦を遣わされました。

「アキラ」というユダヤ人とその妻、「プリスキラ」です。

この夫婦はローマに住んでいたのですが、クラウディス帝が、ユダヤ人をローマから追い出すことにしたので、

彼らはローマから追われるようにして、このコリントに来ていたのです。

おそらく紀元49年ころの出来事です。

この二人はすでにクリスチャンだったようです。

一人で衰弱しつつ、コリントにやってきたパウロは、このクリスチャンの夫婦と出会い、彼らの家に住み込みつつ、平日は、テント作りをしました。

そして安息日の礼拝の日だけ、会堂にいき、ユダヤ人やギリシャ人に、福音を語る生活をしばらくしていたのです。

テント作り、天幕作りと、訳されますけれども、具体的にこれがどういう仕事だったのかは、諸説あります。説明がながくなるので、はしょりますが、

テントとか外套、敷物、カーテンなど、様々なことがいわれています。

いずれにしろ、大切なポイントは、パウロは手に職を持っていたということです。彼はエリートでありつつ、同時に手に職をもちながら、時々に、状況に応じて、自分が造ったものを売って、生活したのです。


現代でも、伝道者のなかには、ご自分が書いた本を売って、伝道している人もいるようですね。

伝道者が物を売ったりするのは、あまりなじまないんじゃないかと、思われることもありますが、むしろそれを一番最初にやったのが、パウロだったわけです。

パウロはその時々の状況、必要に応じて、身につけたスキルで、ものを造り、それを売って生活した、伝道者の第一人者です。

私の仲間の牧師に、バイオリンの演奏でも、収入を得ながら、教会の牧師をしている人がいます。

わたしは牧師以外に、専門はありませんけど、

それでも、なにかを造って、売れるなら、伝道の働きのために、やってみたいと、思っているんですよ。パウロみたいに。

去年の神学校週間のときには、メッセージの小冊子を造って、神学校献金の箱と一緒に、ロビーにおきました。何人かの方が、献金という形で、買ってくださいましたよね。

女性会がバザーに手作りの物を造って、それを売ることで、伝道の働きのために献金していることも、同じ理屈だと思います。

そして、こういう働きは、実はとても楽しいのです。

なぜなら、頑張れば、頑張っただけ、報われるからです。

沢山造って、沢山売ったら、伝道の働きのために、沢山献金できるでしょう。

そういう意味で、やりがいもあるわけです。

しかし、「福音」を直接語るという働きは、いつもいつも、人々から受け入れられるわけではありません。

むしろ無視されたり、馬鹿にされ、「また聞くことにするよ」と、あざ笑われることも多い。
伝道旅行の日々のなかで、人々の心ない言葉に、傷つき、疲れ、衰弱していたパウロ

しかし、このコリントの町で、協力者のプリスキラとアキラの夫婦と出会い、

一緒に住み、一緒に仕事をしながら、傷つき疲れた心が、癒やされ、励まされ、力づけられたのではないか。

また「福音」を語る力を、得たのではないかと、想像します。


人間、だれしも、自分が、無視され、馬鹿にされ、

受け入れてもらえない、孤独の日々に、長く耐えつづけることは難しい。

いつか心が病んでしまうことでしょう。

わたしが山形の酒田で、開拓伝道をした日々のなかで、

何が一番辛かったのかと言えば、お金がないことでも、冬の寒さでもないのです。

そうではなく、キリスト教の牧師が、この場所になにしにきたのかというまなざし、受け入れられない、居場所のなさ、孤独に耐えることが、もっとも辛いことなのです。


アテネであざ笑われ、消耗した心でコリントにやってきた、パウロ

そんな彼が、しばらくの間、プリスキラとアキラの夫婦と一緒に、テント造りをする。

それはただ、生活のための仕事ではなく、消耗した心を癒やすための、必要な時間だったのかもしれません。


そして再び、パウロは、み言葉を語ることに、専念する道へと、歩み出します。

5節にはこう書いてあります。

「シラスとテモテがマケドニア州からやってくると、パウロはみ言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証した。」

おそらく、この「シラス」と「テモテ」は、パウロと一緒に伝道旅行をしながら、その途中の教会に立ち寄り、献金を携えて、パウロのもとに戻って来たようです。

パウロは、その献金に支えられて、テント作りをやめて、み言葉を語ることに専念します。

それは同時に、あの激しい戦いへ、立ち戻っていくことでもあります。

6節から読みます。

「しかし、彼らが反抗し、口汚く罵ったので、パウロは服の塵を払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へいく』」と


「メシアはイエスである」と力強く証するパウロに、ユダヤ人は反抗し、口汚く罵りました。
人々の口汚い罵りの言葉は、パウロの心を深く傷つけ、思わず反射的に、パウロは叫びます。
『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へいく』のだと。

もうユダヤ人のあなたたちのことなど、知らない。わたしは異邦人に福音を伝えるのだ。

まるで、見捨てるような言葉を、吐き捨てたパウロ

パウロも人間なのです。

このあとパウロは、ユストというクリスチャンの家に行き、主を信じた、会堂長のクリスポとその家族と交わりを持っています

そして、コリントの多くの人々が福音を信じ、バプテスマを受けるという、出来事に励まされています。

これを書いたルカは、アキラとプリスキラの夫婦や、主を信じる人々との交わりが、パウロを支えたことを、大切なこととして、書いています。

パウロは決して一人の力で、伝道したのではないのです。

主を信じる仲間との出会いと交わりがあったからこそ、パウロは福音を語り続けることが出来たのです。

パウロはある夜、幻の中で主の語りかけを聞きます。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。
だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
この町には、わたしの民が大勢いるからだ」と。

この主の幻、語りかけ。

「わたしがあなたと共にいる」という主の約束。

この約束をパウロは、アキラとプリスキラとの出会いを通してすでに体験し、また、福音を信じた、コリントのクリスチャンたちとの出会いと交わりのなかで、すでにパウロは体験しているのです。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。
だから、あなたを襲って危害を加える者はない。
この町には、わたしの民が大勢いる」

パウロは決して一人で頑張っているのではないのです。

わたしたちも、決して一人で頑張っているのではないのです。

こうして日曜日に、教会という仲間とともに主を見上げ、

教会という交わりの中で、傷つき、恐れて、衰弱していた心が、癒やされ、励まされ、

もう「愛するものか」「語るものか」と、自分を守っていた心に、新しい力と勇気があたえられて、

ここからまた再び、新しい一週間へ、愛の戦いへと、立ち上がっていくのです。