全国壮年大会

shuichifujii2015-08-21

 今日はお昼から夜まで、大田区産業プラザで行われた、全国壮年大会に参加

主題講演は、賀来周一先生(日本福音ルーテル武蔵野教会牧師、キリスト教カウンセリングセンター所長・理事長)

「人と人とのつながり」心のケアについて

いいテーマですね。わたしはこういうの、すきです。

講演を聞いた後、総会は結構もめて、時間オーバー。

「人と人とのつながり」って講演を聞いたあとなのにねぇ。

壮年大会は土曜日の午前中まで

午後は教会の夏祭りの準備と本番

「牧師と遊ぼう」というコーナーがあるんですよ。

たのしみだけど、さて、

日曜日の説教の準備は、いつやろうかなぁ・・・

講演のメモ
1 教会における人間関係の基礎(社会的見地から)
人間は人の中に生きていく
人間は人間関係でつながって生きている。
カウンセリングを学ぶ人たちにいうが、人間の問題はどんな問題であっても人間関係が壊れている。人間関係抜きでは考えられない。

教会は、聖書では神の民、召されたものの群。キリストの体。
現実には、人間の集まり。

※多様性集団 対 均質性集団
教会は希有な集団。
一般の社会の集団は、「均質集団」
教会は「多様性をもった集団」
年齢、性別。新しい人、古い人。

※自発的運動体としての集団 体 命令制度で動く集団

教会は、自分の思いで動いてはいるけれども、全体と関連していく。
自分中心でもなく、自分と他者をあわせながら、動いていく。
教会の役員会で、自分の関心、価値観で動かない。教会全体にとって益となるように動いてくださるようにと語ったことがある。

※気持ちが優先する人間集団 対 生産効率で動く集団
気持ちで教会につながるのであって、生産効率で動うのではない。
最近は、一般企業でも「気持ち」を大切にしている傾向
部下掌握のために、牧師の話をききたがる企業も
命令はメールでいく。ニューヨークも隣の人も同じメール。業務報告、会議の日程スケジュール。
なにかがかけているのではないかという問い
それは、「気持ち」じゃないか。
一般のメールの中には入ってこない言葉。人間と人間の温かい心の通い合いが抜けているのではないか。

生産効率ではなく、気持ちで集まってくるのが教会

「挨拶」をすることの大切さ。そして挨拶の次に、なにをいうのか。
そこで、「気持ち」のあることばを添えること。
こういうことに、気づいているようで気づいていないことが多いもの。

※永続的所属集団 対 限定的所属集団。
会社では「部長」などの肩書きが所属意識、居場所となる。
会社、学校などの組織は、数年の人間関係。
一方、教会は一生続く人間関係
教会は人間の一生を扱っていく。
逆を言えば、ずっと居場所があるということ。死んだ後も、つながっている。
こういう集団は、この世界にほかにない。
こういう集団に身をおくことは、価値あること。
教会があれば、年をとっても身をおく場所があるのだ。

教会の持っている、この世の集団と違う質を念頭に置きつつ、人と人とのつながりを考えていきたい。

2生きづらさを抱えた人々との共生
教会は、くるものをこばまない。
病人、障害者。天才、凡才。新来者
この世の中で、いきずらさを感じている方の教会の中の居場所。

「ベテルの家」北海道の浦賀にある
ソーシャルワーカーでクリスチャン。向谷地さんのことば
「障害者にとって生きづらい社会は、健常者にとっても生きづらい」
障害を持つ人にとって、居心地がいい場は健常者にとっても居心地のいい場所
「喜ぶものと喜び、泣くものとともになく」ことが実現していく
精神病院に入院している30万の人の半分は、社会に受け皿があったら、社会で生活できる。

統合失調症の方々が社会のなかで生きていくにあたっては、
「寝る場所」、「仕事の場所」、「中間的場所」、「病院」
の4つの場所が必要。

当事者の方々との、座談会を開いたときの気づき。
「いやしから救いへ」(新教出版)

・仲間がいる 仲間性ー安心感の保障
・家族が大事 家族性ー居場所の確保
・社会に適応する経験 社会性ー社会的体験の場
これらが、社会復帰のための要因

※仲間
教会は、「仲間」がいる場所。
自分のことがよくわかっている仲間。
肩書きのない、生の人間同士の交わり

教会で、統合失調症の方の支援チームが、自然に作られるならいい。
心弱くされる方が教会にこられるとき、牧師一人だけでは対応は難しいが、何人かのチームであれば可能性は広がる。

どのような方がこられたときでも、教会が一番最初に与えるべきものは、「安心感」

「心配」してはならないのではなく、「心配」することはよいこと。心配しあうそういうかかわりを、教会の中で作っていくこと

つらいときつらい。悲しいとき悲しい。そう感じることは「健康」なのだ。

そのようなことへの気づきが「安心感」を与える

もし、自分の知恵が尽きてしまったら、誰かの知恵を借りたらいい。困ったときは、人にしてもらえばいい。


※「家族」
教会は「家族性」をもっている。
多様な人々が、ただそこにいていい。居場所。

※「社会性」
教会は「社会性」も持っている
多様な人がいることができる社会。
公共的な社会
教会の中にも、心の病を理解する人、厳しい人はいるもの。
一方、教会のなかで、しかられて、社会性を身につけることもある。
まず「相手を肯定」して、していけないことを、伝える。
ホワイトハウスから電波がくる、という人がいた。
「不安」だから。教会に泊めてほしいといわれたとき、「いいですよ」「自分の使った布団を畳み、火は使わない」この約束を守ってください、と伝えた。

ただ、断るのではなく、「受けて」「約束」をすることで、訓練することになる。
幻聴、幻覚があっても、必ずどこかに現実認識を持っている部分がある。
その部分を使い、その部分に関わっていくと、その部分が広がっていく。
教会は、病気を治す場所ではない。いきずらさを持っている方の、健康な部分、健やかな部分と関わり、そこが広げられていくことを期待する。

実は、人間はだれもが、統合失調症。統合を失調している自分の状態を認めることが大切。

肩書きではなく、生の人間。生き方が問われる。
「なにをしているか」ではなく、「あなたは誰か」ということを、人は見ている。

説教も、信頼関係がなければ伝わらない。
「なにができるか」ではなく、「あなたはだれ」ですかという問い

3自己理解、他者理解

※「自己に自由を、他者に愛を」
ルター 「キリスト者の自由」
キリスト者はすべてのものの上に支配する君子であって、いかなるものにも従属しない。
同時に
キリスト者はすべてのものに仕える奴隷であって、なに人にも従属する

と語った。
「自由」と「愛」

※愛するに最もふさわしいのは隣人である
人は皆隣人
愛することは結果がなんであれ、受容すること
「愛する」とは「良いことをする」こととは違う。
「愛する」とき、最初は「よかれ」として行うが、相手の中でなにがかえってくるか、わからない。でも、どんなことがかえってきても、愛すること。それがカウンセリングでもある。

ルターは、愛するとは他人の重荷を負うことだ、といった。

※愛と成熟性

大きなことをする必要はない。小さな愛が、信頼感を育てる。
懐の深さを体得すること。
そのための信仰のあり方。
人間が本当に成熟して、すべてのことを統合していくような、成熟して態度を持つためには、自分の上に、自分を計る量りを持つこと。
自分の知恵、自分の力を、「越えたもの」をもつ。
いいかえると、自分自身が物差しにならないこと。
その自分をさえ計る、絶対的尺度をもつこと。

※内発的信仰思考による 自己の相対化

・内発的信仰。神に愛されている。神に知られている。
病気がたとえ治らなくても、病気を友達にできる。
自分はすべて、神にいかされている。
いざ、というときに役に立つ信仰

・自己中心信仰 外発的信仰。自分にとっていいこと、御利益信仰

WHOによる、健康の定義
身体、心理、社会、スピリチャル
相互に関連しあいながら生き生きとしている状態。

病気でもかまわない。死んでもかまわない。そういえる人となっていく、「成熟した宗教性」へと