「敬天」と「愛人」

shuichifujii2013-06-27

フォイエルバッハによれば「神は人間の鏡」といわれる。

「もしある人の信じる神を知るならば、そのときその人がどういう人間観を持っているかも知るだろう」

彼によれば、あなたの神のイメージは、あなたの人間観の反映である。

つまり、人間に対する評価の低い人は、神への評価も低くなる。

神への評価の低い人ほど、人間に対する評価も低くなる。

そうなれば必然的に、人道主義ほど人間に対する評価が低いということになる。。

人権主義者ほど、上から目線で人間を見るという皮肉も起こる。

フォイエルバッハはいう「宗教は、人間が自分自身に対してとる態度である」(『キリスト教の本質』・岩波文庫)。


ここ庄内は、幕末の時代、西郷隆盛に助けられたことを大切に記憶していて、西郷の言葉「敬天愛人」を知る人も多い。

天を敬い、人を愛する。「敬天」と「愛人」は一つのことと彼は言った。

「敬天」を見失うなら、「愛人」も見失う。

そのことを、ここ庄内に生きる人は知っているし、次世代に伝えていく責任がある。

神さまを敬い、祈る人へと子どもを導こうと取り組んでいる家庭、地域社会は実に幸いだ。

そのために、この場所にのぞみ教会という「敬天」の現場が、祈りの場所が与えられたに違いない。


新約聖書 マルコによる福音書12章
「イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」