忠実

 今日は朝の9時20分ころ、TRさんとTYさんが「おはようございます」と教会にやってこられました。


 実は礼拝の時間は10時なのですが、時々変更することがあるので、教会のホームページに最新の情報を載せています。先週は事情があり、9時30分から始めたのですが、そのまま今週の礼拝の時間も9時30分と載せてしまっていたのでした。それをご覧になって、「またなにか変更があったのかな」と、その時間にあわせてきてくださった、というわけでした。


 大変申し訳ございませんでした。それにしても、ちゃんとホームページをみて時間を確認してからきてくださっているのですね。本当に忠実な方だなぁと、尊敬申し上げます。


 イエス様の御言葉を思い起こしました。


「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」(新約聖書ルカによる福音書16章10節)


 私たちが誘ったからとか、そういうことではなく、ただ神さまを礼拝するために、毎週、教会にこられるお姿に、わたしたちはどれだけ励まされていることでしょう。


 今日の聖書の箇所はマルコ7章24節から、異邦人の女性が娘の癒しを求めてイエス様のところにやってきた箇所。


 ポイントは、彼女が「主よ」とひれ伏した信仰。そして、「小犬でも食卓から落ちたパンくずをいただきます」と主に必死に求めた信仰。そして、彼女の信仰を通して神の癒しの恵みは娘に流れたこと。つまり私が主に求めるとき、その信仰を通して、私に連なる人にも、神の祝福は流れ行くということ。


 毎週、忠実に礼拝を捧げ、御言葉という命のパンを求めて、食して生きる。その信仰を通して、神の祝福はその人の家族へと、職場へと、社会へと注がれていくのです。


 実は教会には全く無縁だったTRさんが、毎週教会にくるようになったのも、その背後に信仰の祈りがあったのでした。祈りを通して、神の祝福は流れていくのですね。


 今が、暗い時代であればあるほど、主の祝福を熱心に祈り求める「忠実な者」でありたいと思わされています。