聖書を書くこと

shuichifujii2015-04-16

約八カ月、ほぼ毎日1ページのペースで、聖書のことばを書き写してきた習慣を通して、

今言えることは、自分自身の内面の安定感、信仰の確信のようなものが、増し加わったような、そんな気がしています。

まず、これをやり続けるためには、どうしても朝の時間を整えなければならないということがあり、優先順位が整えられます。

時に、気持ちが騒いでいるときには、感情に流されず、時間をかけて、じっくりと心を静めていく、訓練の時ともなりました。

また、パウロの手紙などを、一文字一文字なぞっていくと、なんだか、自分自身がパウロになって、当時の教会にあてて、手紙を書いているような、不思議な錯覚におちいったこともあります。

読むのではなく、書くことによって、手紙を受け取る側ではなく、手紙を書く側の思いを感じる気がしたのは、新しい発見でした。

そして、書きながら、時に一つのことばに立ち止まって、黙想させられることも、よくあります。

書くという作業は、目で読む作業と違い、

「ゆっくりしかすすめない」

「目で読んだあと、手も使って書く」

「自分の書いたものゆえに、なんども読み返す」

そんな効果があります。

聖書を書くことは、わたしにとっては、神さまとの交流、祈りの大切なひと時となっているんです。

「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることが出来るからです」
ヘブライ人への手紙4章12節