写真は、礼拝と昼食のあと、UNOを楽しんでいる、みなさん。
13日の礼拝は、山形教会からTさんと娘さん。そしてホームステイのSさんたちゲストと、そして私の家族、Hさん御夫妻の、のぞみ教会のメンバーと一緒の礼拝
アメリカから、山形から、酒田から、人が招かれて、この小さな教会で出会うって、実に素敵なことなんですね。
さて、礼拝の始まる前は、30分間だけ聖書の学びをしているんです。
今日は、旧約聖書の創世記で、アブラムの一族とロトの一族が増えて一緒にいられなくなったので、それぞれ別の場所に出ていくことになった話。
ロトは、低地で人がたくさんいる肥沃な町を選び、アブラムは、まだなにもないような土地をえらぶんですね。神さまが祝福するという言葉だけを信じて・・・
その箇所を読んだ後に、それぞれの思いを分かち合いました。
わたしにバプテスマ(洗礼)を授けてくれたT牧師先生は、昔ブラジルの宣教師だったんですが、よくその先生が、「二つ選択肢があったら、らくなほうじゃなくて、大変な方を選んだほうがいいよ」って言っていたのを思い出すんですね。
きっと、T先生も、その言葉通りに、ブラジルの宣教師として出ていったんですよね。
人の目には、まだなんにもない、と思える場所に、神さまの祝福があることを信じて
そんな話をわかちあって、最後にお祈り。
わたしたちのメンバーのHさんが「わたしたちは、神さまからはなれるような道をえらびたくありません。いつも神さまと一緒にいますように」っていうようなお祈りをなさって、そうだなぁ(アーメン)って感動しました。
Hさんも、2年前にバプテスマを受けてから、本当に忠実に毎週礼拝に来られるんです。
失礼だけれども、「教会にいかなくっちゃ」って、頑張っているところが全くない(笑)。とても自然体で、行きたいから行くという感じて、「今週も礼拝にこれて感謝です」って、いつもいわれるんですね。
神さまに愛されて、神さまに招かれているんだなぁって、本当に思います。
それが福音の力なんですよね。
わたしたちがなにか、自分の力で頑張って、「礼拝に行くぞー」とか、「大変な方をえらぶぞぉ」って、行くべき道を自分で選んでいるのではなくて、
神さまの愛に感じて、導かれて、なぜかその道を選びたくなってしまうという、そんな神さまからの招きが、そこにあるんですよ。
そのことにぜひ、気がついてほしいんです。
自分が選んだのではなく、神さまが選んで招いた一人ひとりが、
この、のぞみ教会で顔を合わせ、
一緒に礼拝している不思議にも。
顔を合わせて、楽しくUNOをしている
この素敵な出来事にも
そこに実現している、ありえない奇跡に目覚めて
感謝を捧げたいんですね。
13日の礼拝メッセージ
「わたしたちは、新しい革袋」We are the new wineskins
http://nozomikyoukai.com/?p=449