新しいチャレンジへの前触れ

shuichifujii2014-04-29

 昨日は、東北にある18のバプテストの仲間の教会があつまって、総会がありました。

わたしたちののぞみ教会は、その教会のなかの一つですけれども、ほかの教会とはちょっと立場が違うんですね。


こののぞみ教会は、最初なにもなかったところから、酒田にも教会つくりましょうと、ほかの教会が協力してお祈りして、少しづつ献金しあって、最初の頃は遠くから毎月訪ねてきて、ホテルの会議室で聖書を読む集会をしたりするところから始まったんです。

そのような形を何年か続けてきたんですが、集会になかなか人があつまらないなど、行き詰りを感じた中で、当時の東北の教会の方々は、「ここに教会をつくるのは難しいから、やっぱりやめましょう」ではなくて反対に、「この酒田に定住して、毎週礼拝をする人を招きましょう」と新しいチャレンジをして、わたしたちの前任の民家牧師ご夫妻を招いたんですね。そして民家牧師夫妻も、そのチャレンジを受けて、70代のご高齢にも関わらず、この酒田に家を借り、移り住んでくださって、酒田の人になって、日曜日にはお二人だけで家で礼拝を捧げました。

こられるときは東北の仲間の教会からも日曜日に訪ねて一緒に礼拝をし、また酒田の方で民家ご夫妻を支えてくれるMさん御夫妻も与えられる。

でも、それから約2年経って民家先生は重い病気の治療のために酒田をはなれなければならなくなります。その時に東北の教会の方々は、やはりここに教会をつくるのは難しいからやめましょう、とはならなくて、結局、当時東京にいた藤井家族を、酒田に招くチャレンジをするんです。わたしたちも神さまからいただいた招きとチャレンジだと受け取って、7年半まえ招かれて酒田の人になりました。

教会の名前も「酒田のぞみキリスト教会」と新しく名付け、小さな借家に4人家族で住みついて、同じように日曜日には家族だけの礼拝。

そしてわたしたちが酒田に来た次の年に二男が生まれ、その2年後のイースターに長女と長男がバプテスマ(一般でいうところの洗礼式)をして、5年後に地元からのぞみ教会の新しいメンバーが与えられえ、次の年にそのお連れあいがバプテスマを受けられて、今に至るわけです。

一番最初から数えると、20年近い時がながれていて、人間の寿命から考える時間感覚的には、長いようにと思うけれども、神さまの福音宣教の時間感覚は「1000年は1日」のごとく。世代を超えて、1000年先の実りのために、今、酒田に福音の種を蒔きつづけるという、神さまが実らせることへの信仰がなければ、目先のことで一喜一憂ですよ。

なにもなかったところからはじめられ、試練や行き詰まりをなんども経験しながらも、それによって思いもしない形で導かれ、今に至っている歴史を見てみても、これは神さまが導かれている神さまの働きですから、あとは、神さまが実らせてくださる時に委ねて、人は福音のたねを蒔き続けるだけ。

それが、2000年の間教会がやってきたことだし、これからも同じこと

そして、時々にやってくる行き詰まりとか試練は、新しい次のステップへと進むチャレンジための、神さまからの前触れなんじゃないかな。

そんなことを、昨日の総会を経て、あらためて思っているんです。