洗礼を受けることにしたんだってね

shuichifujii2014-02-06

 昨日は東京のI君から、イースターバプテスマ(一般で言うところの「洗礼」)を受けることになったことの連絡があって、とてもうれしかった。

 I君とは私が酒田に来る前からの付き合い。前の教会で牧師をしていたときに、初めて教会を訪ねてきて知り合って、その後私が酒田にきてからも、彼がつらいときは電話をかけてきてくれて、そのたびに、だいじょうぶ、神様に愛されているからと、言い続けてきたけど、7年目にしてやっとバプテスマを受ける決断に導かれて、本当によかったよ。

決して一言じゃいえない、つらくて大変な日々。いくらイエス様がともにいるから大丈夫だ。「明日は晴れる」って、今の朝ドラじゃないけど、そんなことを言い続けても、なかなか届かない時だってあったし、それでも、彼もそんな福音の言葉を聞き続けて、少しずつ少しずつ希望をもてるようになってきて、お祈りもするようになって、自分の心のことも、わかるようになってきて、それでも、どうしても自分だけでは、目の前の状況ですぐ失望してしまうから、どうにもならなくなるまえに、わたしに電話をかけてくることに決めて、そんな電話を何年も繰り返して、だんだん電話の回数も減ってきたんだよね。

 かつては、家から一歩も出られないほど、つらい日々をすごしたときを思えば、いま、すばらしい女性と出会い、結婚への準備も進めている状況は、まさに奇跡であるし、そのプロセスを見てきたわたしには、つくづく「I君。あなたは神様に愛され、選ばれているよ」って思いで、感動ですよ。

 バプテスマ(洗礼)も、いうなれば、イエス様との結婚式のようなもの。今までもそうであったけれども、これからも、永遠に神様とともにある命を生きる喜びに、晴れて出発です。

 そして、その出発は、ただ、自分のためにじゃなくて、I君がかつてそうであったように、今、まさに自分に自信を失い、希望も喜びもなく、苦しい日々を生きているあの人に、「わたしもかつてそうだったんです。今でも不安を抱えることはあるけれども、でも大丈夫なんですよ。イエスさまがいるから。愛されているから。大丈夫なんですよ」って、福音を伝えるためなんですよ。

私から電話で聞きつづけた福音の言葉を、I君も語っていくんです。その新しい出発。それがバプテスマ

 I君の語る希望の言葉を待っている、「あの人」のために


新約聖書1ペテロの手紙2章9節

「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」