昨日のつづき

 昨日のブログの記事で、アメリカの教会を、ちょっと皮肉っぽく書いてしまいましたけれども、たしかに傾向としては個人主義的傾向があるとは言いえても「アメリカの教会すべて」と一般化はできないし、近年になって共同体、小グループのコミュニティ大切さを語られるアメリカ人の牧師さんも多くなってきたと思うので、その点は書いておきますね。

ブログを読んでくださっている友人から、メールでスウェーデンの教会のことをご紹介いただきました。

http://www.immanuel.se/compassion-ministry


多様性を受け容れ、互いの事に関心を持って、支え合っている教会の姿

その友人は、初めていった教会が、スウェーデンの牧師のおられるた教会だったということで、とてもよい体験をなさったそうです。



 さて、もし教会が、店のようなものなら、地方にはよくありがちな、大型店舗のスーパーに人が集まり、個人商店がつぶれていくようなことが起こるでしょう。残念ながらアメリカの教会において、そのような傾向があることを聞くこともあって、昨日の記事を書きましたし、それは日本の教会においても、その傾向が多少はあるわけです。

しかしそもそも、教会とは、「自分の好きな時」に、「自分の好み」で、「自分の好きなプログラム」を消費する消費者が集まるような「お客様こそ神さまです」という集まりじゃなくて、「天地を作られたあなたが神さまです」と、二人でも三人でも共に集って、互いに分かち合う仲間、共同体。それが教会なんだよね、ということを、いつも思うんですね。