2年3カ月の間、牧師が不在だった山形キリスト教会
のぞみ教会の母なる教会
この4月から杉山修一牧師が就任してくださり、今日は喜びの就任式。
礼拝堂に入りきれないほど、東北や全国の諸教会からお祝いに駆け付けた人、人、人。
全員で歌う讃美歌の声、特別編成の聖歌隊の声の、大きいこと大きいこと。
あれは、間違いなく天まで届いたな。
でも、今日の日の喜びがこれほどまで大きいのは、2年3か月の間、牧師不在の苦しみを味わったゆえ(「苦しみ」といったらネガティブですね。これも神さまからのギフトなのだから・・)
その間に3.11の震災もありました・・・試練につぐ試練
実は、のぞみ教会も、震災が起こった頃は、辛い時期でした。何年ものぞみ教会の礼拝に来て、礼拝を捧げ、わたしたち家族を精神的に支えてくださっていたある方が、震災を境に去られたからです。
「もうだめだ」「やめよう」 そんな思いでいっぱいだったあの頃。
毎月第一日曜日は、のぞみ教会の礼拝時間を午後4時からに変更し、午前中は無牧師の山形教会にわたしたち家族で出かけ、礼拝を捧げることになりました。
ともすればうつむいてしまうばかりの顔をあげて、共に主を賛美し、主に感謝し、希望の持てない現実をまえに、なお希望のみ言葉に聞き続けたあの頃。
のぞみ教会も山形教会も、ある意味自らの存在の危機を感じさせられる試練をいただくなか、ただひたすら聖書の希望の御言葉にすがって生き抜いたあの頃。
でもこの2年3カ月の間には、のぞみ教会に、はじめて新しい地元のメンバーが加えられ、はじめてのバプテスマ(洗礼)式を行う恵みもあたえられ、その喜びを、山形教会の皆さんとともに分かち合うために、バプテスマ式を山形教会のイースターの礼拝のなかで行なわせていただくという出来事を味わいました。
そんな2年3か月の様々な出来事、出会いの全てが、今日の杉山修一牧師就任式の大きな喜びへと繋がっている、主の大きなご計画を思い、感無量です。
今、うつむいて、下を向くような心でこれを読んでくださっている方がいるのなら、こう大きな声で伝えたい。
主は真実なお方です。
どんなに今、つらくても、「もうだめだ」と言いたくなっても、あなたは神さまに愛されているんです。
だから大丈夫です。希望はあります。必ず喜ぶ時がきます。
信じてください。信じて生き抜いてください。
そうお伝えしたいです。